3 インド・東南アジアのイスラム化

2 東南アジアのイスラム化

 ムスリム商人は、すでに8世紀後半のアッバース朝時代から盛んに海上に進出し、インド洋から東南アジアを経て中国の海港都市でも活躍していた。イスラム教は中国にはアラブ人が7世紀後半に海路経由で伝え、広州・揚州・泉州などの港市にはイスラム寺院も建てられている。しかし、東南アジアにイスラム教が広まるようになるのは13世紀以後のことである。

 東南アジアでイスラム教が広まる時期が遅れた理由としては、初期のムスリム商人達が布教に余り熱心でなかったこと、東南アジアの住民達にも受け入れる気運がなかったことなどが考えられている。13世紀に入って東南アジアにイスラム教が広まるようになった のは神秘主義教団の活動によってインドのイスラム化が進んだことが深く関係していると考えられている。

 イスラム社会では、10世紀頃から神との一体感を求める神秘主義(スーフィズム)が盛んとなった。スーフィズム教団の修道者は、羊毛で作った粗末な衣服(スーフ)をまとい、ぜいたくな生活を排し、苦行と瞑想によって神との一体感を求めた。12世紀になるとスーフィズム教団の組織化が進み、多くの神秘主義教団が結成され、教団員は貿易路に沿ってインド・東南アジア・中国に進出し、イスラム教の布教に熱心に従事した。

 こうした状況の中で、13世紀末にはスマトラ島の西北部、14世紀後半から15世紀にかけてジャワ島の東北部にイスラム教徒の小国が形成された。

 東南アジアの諸島部では、7世紀にスマトラ島の東南部にシュリーヴィジャヤ王国が興り、海上交通の要衝であるマラッカ海峡を押さえて繁栄し、10世紀に最盛期を迎えたが、14世紀に入るとジャワ島のマジャパヒト王国の台頭で衰退に向かった。

 シュリーヴィジャヤ王国が衰退した14世紀の末頃、マライ半島の南西部に東南アジア最初のイスラム国家であるマラッカ王国(14世紀末頃〜1511)が成立した。

 マラッカ王国の建国者であるパラメーシュヴァラはマジャパヒト王国(1293〜1520頃、ジャワ島中部を中心に栄えたヒンドゥー教の王国)の王女の夫でシャイレーンドラ朝(8世紀中頃〜9世紀前半、中部ジャワを支配した王朝)の王家の子孫と伝えられている。彼は14世紀末にマジャパヒト王国で王位継承争いが起こったとき難を逃れ、後にマラッカに定着した。中国の明に朝貢し、タイのアユタヤ朝(1350〜1767)の南下を防ぎ、独立を維持した。パラメーシュヴァラは晩年にイスラム教に改宗した。

 その後、マラッカ王国は東南アジア最初のイスラム国家として、また東南アジアの国際貿易の中心として栄え、最盛期の15世紀後半にはその領域はマライ半島南部全域と対岸のスマトラ島の東部に及ぶ大勢力となったが、1511年にポルトガル人によってマラッカが占領され滅びた。

 イスラム教は、マラッカの貿易のルートに沿ってインドネシアやフィリッピンの南部にも広まった。ミンダナオ島などフィリッピン南部の諸島の住民は16世紀末頃イスラム化し、モロ人と呼ばれている。

 ジャワ島ではマラッカ王国の成立の影響を受けて、北部ジャワにイスラム諸都市が分立し、内陸部の米作地帯にはヒンドゥー教国のマジャパヒト王国に代わって、イスラム教国であるマタラム王国(16世紀末〜1755)が成立した。  




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