4 アフリカの諸国
現在知られている最古の黒人王国はナイル上流のクシュ王国(前920頃〜後350頃)である。エジプト中王国末期に一時エジプトの支配から独立したクシュ人は、新王国の初めに再びエジプトの支配下に置かれた。クシュ人は前10世紀に再びエジプトの支配を脱し、前8世紀には逆にエジプトを征服し、都をテーベに遷して栄えたが、前7世紀にアッシリアのエジプト侵入で後退し、都をテーベからナイル中流域のメロエに遷し、メロエ王国(前670頃〜後350頃)としてその後も栄えた。
メロエ王国はアッシリアから製鉄を学び、製鉄と商業によって栄えたが、4世紀にエチオピアのアクスム王国によって滅ぼされた。メロエ王国の滅亡は鉄の製法がアフリカ各地に伝播するきっかけとなった。また彼らはエジプトの文字と異なるメロエ文字を用いたが、メロエ文字は今日まだ未解読である。
アクスム王国(前120頃〜後572)は、アラビア半島の南端から移住してきたセム系のアクスム人がアビシニア高原に建てた国でエチオピア王国とも呼ばれる。2〜3世紀が全盛期でメロエを脅かし続け、350年頃ついにクシュ(メロエ)王国を滅ぼした。
アクスム王国には4世紀にキリスト教(コプト派)が入り、キリスト教化が進み、キリスト教が国教とされた。西ヨーロッパでは中世から近代初めにかけてプレスター=ジョン伝説が信じられた。アジア(後にはアフリカになる)のどこかにキリスト教の司祭王が居るという伝説である。15世紀以後はエチオピアの皇帝がプレスター=ジョンであるという考えが一般化していったが、エチオピアに早くからキリスト教が広まっていたことがその背景になっている。
西スーダン(スーダンはアラビア語で「黒い国」を意味する。ほぼ北緯10度から北緯20度辺りまでのアフリカの地を指す)のニジェール川・セネガル川流域ではアラブ人の間で「黄金の国」として知られていたガーナ王国(8世紀以前〜1076)と呼ばれる黒人王国が栄えていた。ガーナは豊富に産する黄金を、サハラ砂漠を縦断してやってくるムスリム商人がもたらす岩塩と交換する交易によって繁栄していた。交易ルートの安全を確保するために軍事・政治機構を確立し、20万人以上の常備軍を持っていたと言われ、西スーダン一帯に勢力を及ぼしていた。しかし、11世紀にベルベル人のムラービト朝によって滅ぼされた。このムラービト朝によるガーナ王国の征服は西アフリカのイスラム化を促進することになる。
13世紀にマンディンゴ族は初代王のスンジャータ(1240頃〜1260頃)のもとで、近隣の国々との戦いに勝ち、かってのガーナ王国の産金地を支配下に治め、金と塩の交易ルートを確保し、西スーダンの大半を支配下に置いた。これがマリ王国(1240〜1473)である。マリ王国では早くからイスラム教が受け入れられ、支配階級はイスラム教徒であった。
マリ王国の最盛期の王がマンサ=ムーサ(カンカンムーサ)(位1312〜37)である。マンサ=ムーサの名を有名にしているのがメッカへの巡礼である(1324)。その帰途カイロに滞在したときに使った金は13トンにも達したと言われ、このためカイロでは金の価値が下がり、インフレが起こったと言われている。マンサ=ムーサの名はヨーロッパにまで伝わり、14世紀にヨーロッパで作成された地図にはマリ王国とマンサ=ムーサの姿が書き込まれていた。
14世紀には有名なイブン=バトゥータがこの国を訪れて、その繁栄ぶりについて記述している。しかし、マリ王国は、15世紀の後半にニジェール川流域で急速に勢力を伸ばしてきたソンガイ王国によって滅ぼされた。
西スーダンの黒人ソンガイ族は、15世紀後半に勇猛・好戦的な王のもとで、隊商交易の終点として繁栄していたトンブクトゥを奪い、マリ王国を滅ぼし、西アフリカの大部分を支配下に治めた。ソンガイ王国(1473〜1591)は北アフリカとの交易によって栄え、15〜16世紀に全盛期を迎えた。ソンガイ王国の経済・文化の中心として栄えたトンブクトゥには16世紀に黒人による最初の大学が創設された。
ソンガイ王国は、16世紀末に「黄金の國」伝説を信ずるモロッコ軍の南下によって滅ぼされた。しかし、モロッコ軍は期待に反した西スーダンの貧しさに落胆し、激しい略奪を行って引き上げた。このため西スーダンは壊滅的な打撃を受け、交易の中心も西スーダンからチャド湖周辺のカネム王国(9世紀頃〜14世紀末)やボルヌ王国(14世紀末〜17世紀、カネム王国が本拠をボルヌに遷して再興した国)などに移っていく。
アフリカ東岸、赤道以南のマリンディ・モンバサ・ザンジバル・キルワなどの海港都市には、10世紀以降イスラム商人が移住し、彼らのインド洋貿易で繁栄していた。このためこの地域ではスワヒリ語(スワヒリはアラビア語で「海岸地帯の人々」の意味、アラビア語の影響を受けた言語)が普及した。
さらにその南方のサンベシ川流域では、15世紀にモノモタパ王国が繁栄していたことがポルトガル人によって伝えられている。その中で述べられているジンバブエの壮大な石造遺跡が19世紀後半に発見され、その後の研究によってジンバブエには高度な文明が存在していたこと、そしてインド洋貿易によって繁栄していたことが明らかになった。モノモタパ王国は、15世紀中頃に建設され、15世紀末にかけては領土を拡大し栄えたが、16世紀には小国になっていった。