1 イスラム帝国の成立

1 ムハンマドとイスラム教

 イスラム教の創始者であるムハンマド(マホメット、570頃〜632)は、日本の聖徳太子・中国の煬帝とほぼ同時代にアラビア半島のメッカに生まれ、40歳頃神の啓示を受けてイスラム教を創始した。

 イスラム教は、キリスト教(約19億人)・仏教(約3億人)と並ぶ世界の三大宗教で、今日、西アジア・アフリカを中心に約11億人の人々に信仰されている。 

 ムハンマドの生まれたアラビア半島のメッカは、当時国際的な中継貿易都市として繁栄していた。アラビア半島は大部分が砂漠で、セム系のアラブ人は古くからオアシスを中心に遊牧や農業そして隊商(キャラバン)による商業活動を営んでいた。

 アラビア半島はこれまでの歴史の中ではあまり注目されることはなかった。かってのアケメネス朝ペルシアやローマ帝国のような大帝国の領域もこの半島に及ぶことはなく、世界史の主流からはずれていた。

 そのアラビア半島が脚光をあびるようになるのは、6世紀頃からである。この頃、ササン朝ペルシアのホスロー1世(位531〜579)とビザンツ帝国のユスティニアヌス大帝(位527〜565)がメソポタミアをめぐって激しく争ったために、この地域を通る従来のシルク・ロードは危険となり、商人たちが危険なルートを避けたためシルク・ロードは衰えていった。またビザンツ帝国の国力低下とともに紅海貿易も衰えたため、アラビア半島の西海岸を経由してシリアに至る中継貿易路が繁栄するようになった。この国際的な中継貿易を独占して莫大な利益を得ていたのがメッカの大商人たちであった。

 ムハンマドは、このメッカのクライシュ族の名門ハーシム家に生まれた。クライシュ族は、古くからメッカの東方で遊牧をしていたが、5世紀にメッカを征服してここに定住し、中継貿易に従事するようになり、シリア・エジプトとの貿易を独占した。クライシュ族の多くの氏族の中で、特にハーシム家とウマイヤ家が有力であった。

 ムハンマドは、幼くして両親と死別し、祖父・伯父に養育された。やがて隊商に従事して、アラビア半島・シリアなどを旅する中で見聞を広め、ユダヤ教やキリスト教にも接した。25歳頃、メッカの大商人の未亡人ハディージャと結婚し、裕福な生活に入ったが、当時のメッカにおける貧富の差の増大などに心を痛め、メッカ郊外の山の洞窟で瞑想に耽ることが多くなった。そして40歳頃(610年頃)、天使ガブリエルから「起きて警告せよ」とのアッラーの啓示を受け、やがて預言者(神の言葉を人々に伝える使徒)であると自覚し、唯一神アッラーへの絶対帰依(イスラム)を説き、布教を始めた。

 彼はメッカの一部の大商人達による富の独占を批判し、「アッラーの前に人間は平等である」と説いたので、メッカの下層民の間に信者を得ていった。そのためメッカの特権階級である大商人達から迫害を受けるようになった。

 622年、ムハンマドは少数の信者達とともにメッカを脱出し、ムハンマドの支持者が多かったメディナ(元はヤスリブと呼ばれた)に逃れた。この出来事はヒジュラ(ヘジラ、聖遷)と呼ばれ、イスラム暦の紀元元年とされる。

 イスラム暦はヒジュラの年の年初(西暦622年7月16日)を紀元元年とする太陰暦である。太陰暦で1年が354日であるために太陽暦の西暦とはずれが生じる。昨年の1999年4月17日がイスラム暦の1419年1月1日となっている。

 メディナへの移住後、ムハンマドに率いられたムスリム(イスラム教徒を意味するアラビア語、アッラーに身を捧げた者の意味)の共同体であるウンマ(イスラム教団)が成立し、それを背景にムハンマドはメディナの支配者となり、敵対者と戦い、周辺の各部族にイスラム教を布教していった。

 そして630年1月には1万人の軍勢を率いて、かって彼を追放したメッカを包囲し、無血占領した。そこで今まで多神教の神殿であったカーバ神殿の偶像を破壊し、以後イスラム教の聖堂とした。カーバ神殿はメッカの大モスク(イスラム教の寺院)の中央にあり、石造で高さ15メートルの立方体の建物である。コーランの言葉を刺繍した黒い布で覆われている。東隅の壁の下に神聖視された黒石がはめ込まれている。イスラム暦の12月には世界中から多くの巡礼者が集まる。

 その後、アラビア半島の諸部族はムハンマドの支配下に入り、彼が亡くなる632年までにアラビア半島はほぼ統一された。ムハンマドは632年に「別れの巡礼」(メッカへの巡礼)を行った直後に病に陥り、メディナで没し、その地に葬られた。

 イスラム教は、唯一神アッラーへの絶対的服従(イスラム)を教義の中心とする宗教である。聖典の「コーラン」は、ムハンマドに下されたアッラーの啓示を記録したもので、114章から成る。第3代カリフのウスマーンの時代、650年頃に現在の形にまとめられ、アラビア語で書かれている。

 イスラム教徒は、六信(イスラム教徒が信ずべきこと)を信じ、五行(イスラム教徒が行うべきこと、義務)を実行し、その他イスラム法によって規定されている様々な禁忌(ハラム)を守らねばならない。

 六信とは、(1)アッラーは唯一絶対の神であり、万物の創造者であること、(2)天使がアッラーと人間の世界との間に存在し、両方の世界を媒介していること、(3)聖典の「コーラン」が最も純粋に神の言葉を示していること、(4)ムハンマドは預言者であること。アッラーはムハンマド以前にもモーセ・ダヴィデ・イエスなどの預言者をこの世に送ったが、ムハンマドは最後にして最大の預言者であること、(5)最後の審判により、人々は生前の善行・悪行の多少によって天国と地獄にわけられること、(6)天命、神の意志は人間の意志・行為を通じて現れる。人間の全ての行為はアッラーが創造したものであること、以上6つのことを信ずることである。

 五行とは(1)信仰告白(2)礼拝(3)断食(4)喜捨(5)巡礼の5つの義務を実行することである。
 (1)信仰告白は「アッラーの他に神はなし、ムハンマドはその使徒である」という言葉を唱えることである。
 (2)礼拝は、1日に5回、どこにいてもメッカのカーバ神殿に向かって礼拝を行うことである。1回目は日の出前、以後正午、日没前、日没後そして寝る前の5回である。一度の礼拝は短い人でも10分位、長い人は1時間以上に及ぶという。
 (3)断食は、イスラム暦の9月(ラマダーン)に1ヶ月間、日の出から日没まで一切の飲食を断つことである。 イスラム暦は太陰暦で1年が354日であるため、年によっては真夏・真冬に当たることもある。特に真夏の断食は大変な苦行であると思う。 ラマダーン明けには盛大な祭りが行われる。但し、病人・妊婦・幼児・老人など弱い人には免除される。
 (4)喜捨(ザカート)とは、貧しい人々への施しをいう。農作物・家畜・商品・貨幣などの一定額を自発的に差し出すことで、その用途は貧しい人々の扶助に限られている。後には税の形を取るようになり、救貧税の性格を持つようになる。
 (5)巡礼は、一生のうち一度はメッカのカーバ神殿に巡礼することである。
 この他、成年男子にはジハード(聖戦、異教徒に対するイスラム教の拡大または防衛の戦い)に参加する義務が課せられている。

 以上の六信・五行の他に、イスラム法によって日常生活に様々な禁忌が規定されている。
 飲酒の禁止、汚れた動物とされる豚肉を食べることは禁止、また定められた方法以外で処理された肉を食べることも禁止されている。利子を取ることも禁止されている、イスラムの銀行に預金しても利子は付かない。男は4人まで妻を持つことができる、但し4人を平等に愛することが条件である。女は夫以外の男性に顔や肌を見せてはいけない、そのためにチャドルを着用する。左手は不浄とされているので食事や物の受け渡しに使わないなどがよく知られている。

 イスラム教は、このように単に信仰の面だけでなく、社会生活全般にわたってムスリムの日常生活と密接に結びついていることが大きな特色である。




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