1 北方民族の活動と中国の分裂

3 大土地所有の発達

 中国では、大土地所有制が漢代から盛んとなり、広大な土地と多くの奴婢(奴隷)や小作人を使って耕作させる豪族が各地に現れた。

 彼らは、前漢の武帝の時に始まった郷挙里選と呼ばれる官吏任用制を利用して官職を独占するようになり、経済的・社会的のみならず政治的にも力を持つようになり、地方の実力者となった。

 豪族は後漢末から魏・晋・南北朝を通じて、各地でますます力を強めていった。 

 三国の魏の文帝は、豪族の子弟ばかりが推薦されるなどの弊害が目立ってきた従来の郷挙里選にかわって九品中正と呼ばれる官吏任用制を始めた(220)。

 九品中正(きゅうひんちゅうせい)は中央から任命される中正官と呼ばれる役人を州郡に置き、中正官が郷里の評判によって人物を九品(9段階)にわけて中央に推薦する(これを郷品(きょうひん)という)、中央では郷品に基づいて相応する官職に任命するという官吏任用制で、魏・晋・南北朝を通じて行われた。

 郷品に基づいて相応する官職に任命するやり方とは、官職を上・中・下に分け、さらにその中を上・中・下に、計9段階に分ける、そして上の上を一品とし、下の下を九品とした。そして丞相や大将軍を一品とし、大臣級は三品、地方長官は四品と決めておき、三品に推薦された者は4ランク下の七品の役に任命され、累進すれば最後は三品の役に就くようにした。なおここから上品とか下品の語が生まれたと言われている。

 この九品中正の鍵を握るのは中正官である。彼らがしっかりした人物評定をすれば、優れた人物がふさわしい地位・官職に就けるが、そこに賄賂とか情実などが入り込み、人物評定が正しく行われないことになれば本来の役割を果たさなくなってしまう。ところが当時は豪族の全盛時代で中正官になるのは、ほとんどその地方の豪族であったために、結果的には豪族の子弟が上級官職を独占することとなった。

 「上品に寒門なく、下品に勢族なし」という有名な言葉がある。寒門は貧乏で社会的に無力な低い家柄のことであり、勢族は有力な豪族のことである。つまり貧乏で低い家柄の人はどんなに才能があっても上品に推薦されず、従って高い官職につけない、下品に推薦されている人の中には勢族の人は見あたらない、豪族の子弟は才能がなくても上品に推薦され高い官職に就くことが出来た、豪族が高級官職を独占した様子をなげいた言葉である。 このようにして中央に進出して政治的権力を握り、上級官僚の地位を世襲的に占めるようになった豪族たちを、この頃から貴族と呼ぶ。魏・晋・南北朝から次の隋・唐の時代はまさに貴族の時代であった。  

 後漢末から五胡十六国時代の戦乱や豪族による土地兼併によって土地を失った農民は流民となって各地をさまよい、あるいは豪族の奴婢となった。このことを放置すれば、国家が直接支配する土地と人民を減少させ、軍事面での破綻や税収の減少にともなう国家財政の破綻を引き起こすことになるので、各王朝は何とかして豪族の大土地所有を抑えようとして様々な対策を行った。

 三国の魏は屯田制を実施した。屯田制は国家が耕作者の集団をおいて官有地を耕作させる制度で、軍屯と民屯がある。軍屯はおもに辺境の軍隊が食糧を自給するために、兵士とその家族が耕作する方法であり、民屯は農民に官有地を耕作させる方法である。魏の曹操は一般の農民をまねいて耕作させ、収穫の5〜6割を納めさせた。これは魏の有力な財源となり、魏の経済力を増大させた。

 西晋は占田・課田法を採用した。これは武帝が呉を滅ぼして天下を統一した直後(280)に発布した土地制度である。占田は土地所有の最高限度を定めたもので、男子70畝、女子30畝とされたが、官人には官職や位階(一品から九品)に応じて50頃(けい、1頃は 100畝=約5.5ha)から10頃の所有が認められた。課田は農民に官有地や戦乱による無主の土地を割り当てて耕作させたものといわれている。占田・課田法については内容や実施の程度などはよく分かっていないが、大土地所有の制限と税の確保を目的としたものであることは間違いないであろう。

 東晋に始まり南朝で行われた政策に土断法がある。これは当時、華北の戦乱を逃れて多くの農民・流民が江南へ移動してきたが、彼らは戸籍につかず、租税を納めず、豪族の私有民(奴婢)となる者が多かったので、彼らを現住地の一般の戸籍に登録させた政策である。

 北魏では均田制が行われた。第6代皇帝の孝文帝が実施した均田制は、土地所有額を制限し、国家の土地を貸し与え、国家による土地と人民の支配および税収の確保を図った制度である。

 北魏が与えた土地には露田(穀物を栽培する土地)、麻田(麻を作る田)、桑田(桑を植える田)があり、露田と麻田は死亡または70歳で返還したが、桑田は世襲された。そして丁男(15〜69歳)には露田40畝、麻田10畝、桑田20畝が支給された。

 なお北魏では妻(丁男の半分が支給された)、そして奴婢(丁男と同じ)や耕牛(1頭につき30畝、4頭まで支給)にまで支給されたので豪族に有利であった。

 均田制によって土地を支給された均田農民には租(穀物)・調(特産物)・役(労役)の税が課せられた。

 よく知られているように、この北魏の均田制は隋・唐に受け継がれて行くことになる。

 各王朝が行った大土地所有を抑制しようとする政策は、国家が農民を確保するにはある程度役に立ったが、豪族の大土地所有を抑制するうえではほとんど無力で効果なく、豪族は前述の九品中正を利用して中央政界に進出して政治的権力を握り、貴族階級を形成していくこととなる。




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