5 西ヨーロッパ中央集権国家の成立

5 スペインとポルトガル

 イベリア半島は、8世紀以来イスラム教徒の支配下に置かれた。イスラム教徒(ウマイヤ朝)に滅ぼされた西ゴート王国の貴族は北方の山岳地帯に逃げ込み、そこを拠点としてイベリア半島からイスラム教徒を駆逐し、キリスト教徒の手に奪回する運動を起こした。この運動は国土回復運動(レコンキスタ、再征服)と呼ばれている。

 レコンキスタの過程で、イベリア半島にはレオン・カスティリア・ナヴァル・アラゴン・ポルトガルなどの諸国が成立した。

 レコンキスタの先頭に立ったのは、8世紀初めに西ゴート貴族らによってイベリア半島の北西部に建国されたアストゥリアス王国であった。アストゥリアス王国は次第に領土を拡大し、9世紀後半にレオン地方を征服し、レオンに首都をおいたので以後はレオン王国と呼ばれた。

 カスティリア王国(930年頃建国)は、レオン王国の辺境伯が近隣を征服し自立して建てた国である。その後南方に領土を拡大し、13世紀にはレオン王国を併合(1230)、 さらにコルドバを占領して(1236)イベリア半島の大半を支配下に治め最大の王国となった。

 ナヴァル王国は、10世紀初めに建国された。11世紀にアラゴン王国に併合されたが、12世紀には独立を回復した。

 アラゴン王国は、11世紀にナヴァル王の一族によって建国された。その後南方に領土を拡大し、14世紀にはサルデーニャ(サルディニア)島・シチリア島なども領有して西地中海で勢力を振るい、カスティリア王国と並んでレコンキスタの中心となった。

 ポルトガルは、アルフォンソ=エンリケシュがイスラム教徒を撃破し、領土を回復してカスティリア王国から分離して独立王国となった(1143)。ジョアン1世(位1385〜1433)は北アフリカのセウタを攻略して海外進出の基礎を築いた。その子エンリケ航海王子は西アフリカの探検を奨励した。

 ジョアン2世(位1481〜95)は、貴族の反乱を鎮圧して国内統一を進めて絶対主義の基礎を築き、またインド航路発見を援助するなど海外発展に力を尽くした。

 12世紀になると、カスティリア・アラゴン・ポルトガルの3国が強大となり、キリスト教徒はイベリア半島の北半を奪回し、イスラム教徒は次第に南へ追いつめられていった。

 イベリア半島の南端に追い込まれたイスラム教徒は、イベリア半島最後のイスラム王朝であるナスル朝(グラナダ王国、1230〜1492)を建て、グラナダを首都とした。以後グラナダはヨーロッパにおけるイスラムの政治・軍事・文化の最後の拠点となり、グラナダに残るアルハンブラ宮殿は世界で最も美しい建築物の一つに数えられている。

 13世紀前半に、グラナダを除いてレコンキスタがほぼ完了すると、共通の目標を失ったカスティリア・アラゴン・ポルトガルなどの諸国間では対立が激しくなり、14・15世紀には各国で混乱が続いた。

 カスティリア国王ファン2世(位1406〜54)の娘イサベル(後のイサベル1世、1451〜1504)は、1469年にアラゴン王子のフェルナンド(後のフェルナンド5世、1452〜1516) と結婚した。イサベルは兄の後を継いでカスティリア国王となり(1474)、夫のフェルナンドも父の死後アラゴン王となったので(1479)、カスティリア・アラゴン両国は合邦してスペイン(イスパニア)王国となった。

 フェルナンド5世(位1479〜1516)とイサベル1世(1479〜1504)はスペインを共治し、1492年にイスラム教徒の最後の拠点であったグラナダを陥れ、ここにレコンキスタが完了した。イサベルが後援したコロンブスの船団がサンサルバドルに到達したのも同じ1492年のことであった。

 フェルナンドとイサベルは、国内では勃興しつつあった都市と結んで貴族勢力を抑え、スペイン絶対王政の基礎を築いた。




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