5 市民の自治
「都市の空気は自由にする」というドイツのことわざがあるように、封建的束縛から解放され自由を手に入れた都市の市民は、様々な束縛にあえぐ不自由な農奴から見るとうらやましい存在であった。そのため荘園の農奴達のなかには何とかして都市へ逃げ込んで自由になろうとする者も多かった。ドイツでは農奴が都市に逃げ込んで1年と1日経過すれば自由な身分になれるという慣習があった。
しかし、都市の自由は封建領主からの自由であって、無制限の自由ではなく、都市の内部には厳格な支配と規制があった。
自治都市は、市民が市政を運営する特権を持っていたが、市政は商人ギルドの親方層である一部の大商人に握られていた。
ギルドは、中世都市の商人・手工業者の同業・同職者の組合で、同業者の 共存共栄・相互扶助・市場の独占を目的とした組織である。ギルド内では、組合員 (親方)の平等は尊ばれたが、労働時間・製品の規格・製品の品質・製造方法・ 価格などに様々な規制が設けられていて、自由な競争は禁じられ、生産の統制や 技術の保持がはかられた。またギルドの組合員になれるのは親方だけで、親方の権威は絶対であった。
手工業者のギルドは同職ギルド(ツンフト)と呼ばれる。同職ギルドでは親方・職人・徒弟の間に厳重な身分関係が保たれていた。
一人前の手工業者になるためには、まず徒弟として親方の家に住み込み、無給で 7年間辛抱し、家事の手伝いや仕事場の掃除その他の雑用をしながら奉公する。 この間は一切技術は教えてもらえなかった。この修業の後に職人となる。 職人になると親方から給料をもらい、ひたすら技術の習得に打ち込んだ。 職人として腕を磨いた後、他の親方のもとでさらに腕を磨き、職人の期間が終わると組合が決めた通りの製品を作成して組合に提出し、審査に合格した者のみが親方になれた。しかし、人数に制限もあり親方になることは大変困難なことであった。従って職人が親方になるために作成した製品には優れた物が多く、英語のmasterpiece(傑作の意味)は、この親方作品に由来する。親方になるとギルドに加入でき、製品の販売権を持つことが出来た。
ギルドは、最初は商人ギルドだけで、手工業者もこの中にふくまれていて、商人ギルドの運営は大商人が独占していた。彼らが市政に参加し、市政を独占していた。
これに不満を持つ手工業者は、12世紀前半頃から同職ギルドを作って分離し、大商人と争いながら次第に市政への参加を実現していった。この商人ギルドと同職ギルドとの対立・抗争をツンフト闘争と呼んでいる。
13世紀中頃から各都市でツンフト闘争が展開され、それによって手工業者の親方も市政に参加できるようになった。この闘争は特にドイツの諸都市で激しかった。
ギルドは、当初は市民の活動を保障し、生産面でも一定の役割を果たしていたが、様々な統制はのちに生産の発達を妨げるものとなった。
商工業・都市の発達にともない、中世末期から近代初頭にかけて大商業資本家が出現した。彼らは市政を独占し、皇帝の即位さえ左右するようになった。その代表がフィレンツェのメディチ家やアウグスブルクのフッガー家であるが、両家については都市の成立の所でも触れたので、ここでは両家を代表する二人に人物について簡単に触れる。
ロレンツォ=デ=メディチ(1449〜92)は、フィレンツェの名門メディチ家の 長男に生まれ、祖父コジモ=デ=メディチや父の後を継いでメディチ家と フィレンツェ共和国の全盛期を築いた。市政では反対派を抑えてメディチ家の専制体制を樹立し、また学芸の保護に努め、レオナルド=ダ=ヴィンチやミケランジェロの活動を援助した。また彼の長男が教皇レオ10世である。
ヤコプ=フッガー(1459〜1525)は、アウグスブルクの金融資本家フッガー家の7男として生まれ、フッガー家の全盛期を築いた。父の遺産を受け継いで東方貿易に従事し、また銀山の独占権を獲得し、ドイツ皇帝や教皇に巨額の融資を行うなど国際金融資本家として巨万の富を築いた。このため15世紀末から16世紀の中頃までは「フッガー家の時代」とも呼ばれた。