4 都市の自治権獲得
中世ヨーロッパの封建社会は、「祈る人、戦う人、働く人」の三つの階級から成り立っていた。「働く人」の大多数を占めていたのは、荘園内で働く不自由な農奴達であった。また荘園の中には少数だったが手工業者達もいた。しかし、10世紀頃までは「働く人」の中には商人達はいなかった。
11世紀以後の商業・貨幣経済の発達は商人という新しい階級を生み出し、商人と荘園から移り住むようになった手工業者の居住地帯としての都市が成立し発展するようになった。
中世ヨーロッパの都市のほとんどは城壁で囲まれていた。この城壁の中に住んでいた人々は市民と呼ばれたが、市民のほとんどは農奴出身であった。
荘園の中で交換が始まり、市が立つようになったとき、商業に従事したのは耕作する土地を持たなかった農奴や 農業の片手間に商売をした人々であったろう。やがて取引の規模が大きくなり、取引の範囲が広くなるにつれて 商業や手工業に専念する人々が現れてくる。しかし、彼らは封建領主の支配を受け、移動の自由がなく、賦役などの束縛を受けていた。それでは商売などに専念できない。そこで彼らは封建的束縛から解放されて自由な身分になることを望み、領主の支配からの独立に努めた。
貨幣経済の進展にともない領主も貨幣を必要とするようになり、都市への課税を強化すると、都市の市民はそれに対抗し、場合によっては領主との闘争によって自由を獲得する場合もあったが、多くの場合は封建領主である諸侯や騎士を抑えようとしていた国王や皇帝と結び、彼らに金銭的な援助を行う代わりに、その保護を受け、国王・皇帝から特許状を得て自治権を獲得していった。
次にあげるのは、イギリスのブリストル市の特許状(1155年)の一部である。「イングランド王にして ノルマンディー公、アキテーヌ公、アンジュー伯たるへンリーは(ヘンリー2世のこと)、・・・以下のことを告げる。 すなわち、余は、余のブリストルの市民たちに、イングランド、ノルマンディー、ウェールズを通じて、彼らと 彼らの商品の行くあらゆる場所において、すべての取引税、通行税、関税を免除することを認めた。したがって余の 自由かつ忠誠なる臣下に対すると等しく、彼ら(市民)が、彼らのすべての特権、免税権、自由な関税を有すること、 また、彼らが取引税、通行税、全ての他の関税を免除されることを望み、これをきびしく命ずる。さらに余は、この 特許状の命に反して、彼らをさまたげる者については、10ポンドの罰金をもってこれを禁じる。」 (世界史史料・名言集、山川出版社より)
このようにして封建領主の支配から自立し、市民自身が市政を運営する権利(自治権)を得た都市は自治都市と呼ばれた。ただし、自治権は都市によって強弱の差があった。
ヴェネツィア・ジェノヴァなどの北イタリアの自治都市は、周辺の地域まで含んだ都市共和国となるものが多く、領主など外部の権力からは完全に独立し、市民自身で市政を運営した。これに対してリューベック・ハンブルクなどのドイツの都市は、皇帝から特許状を得て自治権を獲得し、皇帝直属の自由都市(帝国都市)として諸侯と同じ地位に立った。しかし、一部の有力な都市を除く多くの都市は、封建領主の保護のもとで納税の義務を負っていた。
中世都市は、自立はしていても人口や規模の小さな都市が多く、皇帝・国王・封建領主の圧迫に単独で対抗することが困難だったので、周囲の都市と都市同盟を結び、共通の利害のために戦った。
都市同盟としては、北ドイツ諸都市を中心とするハンザ同盟や北イタリアのロンバルディア同盟が有名である。
ハンザ同盟は、北欧商業圏を支配した北ドイツ諸都市を中心とする都市同盟で、ハンザは団体の意味である。13世紀にリューベックとハンブルクが防衛同盟を結んだのに始まり、14世紀中頃には約80余りの都市が、最盛期には100を超える年が加盟し、リューベックを盟主とした。ロンドン・ブリュージュ・ベルゲン(ノルウェー)・ノヴゴロド(ロシア)には四大在外商館がおかれ、ハンザ同盟の活動の範囲はヨーロッパ内部や東ヨーロッパにも及んだ。また通商の安全を確保するために、共通の陸・海軍を持っていたが、海軍は北欧の強国デンマーク海軍を撃破して(1370)、北海・バルト海を制圧し、14世紀末には最盛期を迎えたが、16世紀以後次第に衰え、三十年戦争後に解散した(1648)。
ロンバルディア同盟は、ミラノを中心とする北イタリア諸都市の間で、ドイツ皇帝フリードリヒ1世の南下に対抗して結成され、皇帝軍を2度にわたって撃破した。最盛期には約30の都市が加盟していた。