4 十字軍と都市の発達

3 中世都市の成立

 西ヨーロッパでは、イスラム教徒・マジャール人・ヴァイキングの侵入が相次いだ8世紀以後、荘園制を基礎とする封建制度に基づく社会、すなわち封建社会が成立した。

 相次ぐ外民族の侵入による混乱の中で、人口は減少し、商業・交通は衰え、それにともない都市や貨幣経済も衰退し、人々は荘園内で自給自足の生活を営むようになった。

 しかし、11世紀以後封建社会が安定して人口も増大する中で、いわゆる大開墾時代(11〜13世紀頃)が始まり、森林や荒地の開墾・沼沢地の干拓などによって耕地が拡大し、また三圃制や有輪犁を馬や牛に引かせて深く耕す農法が普及し、農業生産力が高まっていった。

 荘園内で生産力が増大すると、余剰生産物が生まれてくる。その余剰生産物を交換する市が始まった。市は最初は小規模で不定期にしか開かれなかったが、次第に定期市へと発展していった。市では最初の頃は物々交換が多かったが、次第に貨幣による交換が盛んとなり、自給自足の自然経済から貨幣経済に移行していった。

 このような変化はイスラム教徒やヴァイキングの商業活動や大量の人と物が動いた十字軍によって促進され、貨幣経済・商業の発達は商人や手工業者という新しい階級を生み出した。そして商人や手工業者の居住地域としての都市が成立・発展した。

 西ヨーロッパでは、11〜12世紀にこのような変化が進んだ。こうした都市や市民の発展は「商業ルネサンス(商業の復活)」と呼ばれている。

 中世都市の多くは定期市から発展したが、その成立の由来からローマ都市・司教都市・城砦都市・建設都市などに分けられる。ローマ都市は古代ローマ都市の跡に建てられた都市、司教都市は司教座がおかれた町の教会を中心に発達した都市、城砦都市は封建領主の城を中心に発達した都市、そして建設都市は港・河口・市場など交通の便のよい所に建設された都市である。

 商業は初めは小規模で、取引の範囲も都市と周辺の農村との近距離商業であったが、十字軍などの影響で交通が発達すると東方貿易や北海貿易に代表される遠隔地商業が盛んになった。遠隔地商業の発達にともなってヨーロッパには地中海商業圏と北欧商業圏の二大商業圏が成立した。

 北イタリアのヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなどの海港都市は早くから地中海で活躍していたが、 十字軍時代以後はイスラム商人との東方貿易によって繁栄した。東方貿易で手に入れたこしょうなどの 香辛料・絹・宝石などのアジアの特産物をアルプス以北に運んで銀と交換し、その銀でイスラム商人から香辛料などを購入した。

 特にヴェネツィアは、第4回十字軍以後東地中海に商権を拡大し、東方貿易によって莫大な富を手にして繁栄した。ジェノヴァも十字軍を利用して東地中海に商権を拡大し、ヴェネツィアと海上の覇権をめぐって激しく争った。

 内陸のフィレンツェは、13世紀以後毛織物生産と貿易・金融業によって大いに繁栄した。フィレンツェの 大富豪メディチ家は商業・金融で巨富を得て、15世紀前半には市政を握り、一族からは二人のローマ教皇を出した。 また文芸の保護に努めたので、フィレンツェはイタリア・ルネサンスの一大中心地となった。
 北イタリアの内陸都市ミラノも毛織物・商業で栄えた。

 北イタリアと同じ頃、北ドイツ・フランドル地方でも都市が発達した。この地域では北海・バルト海を中心に北欧商業圏が成立し、北海貿易が盛んとなり、穀物・海産物・毛織物・木材などの生活必需品がヨーロッパ内で取り引きされた。

 北ドイツでは、リューベック・ハンブルク・ブレーメンなどの都市が栄えた。
 リューベックは12世紀に建設されて以来、北海・バルト海貿易の中心となって繁栄し、のちにハンザ同盟の盟主となった。エルベ川河口の港市であるハンブルクも北海貿易で栄え、ハンザ同盟の中心的な都市として繁栄した。またブレーメンもハンザ同盟の重要な都市として栄えた。

 ライン川の河口に近いフランドル地方(ほぼ現在のベルギーにあたる地方)では、10世紀頃から毛織物生産が盛んとなり、ガン・ブリュージュなどが毛織物生産都市として栄えた。

 イギリスでは、ロンドンが北海貿易で栄えハンザ同盟の4大在外商館の1つがおかれた。

 北イタリア都市と北ドイツ都市の発展によって、地中海商業圏と北欧商業圏とを結ぶ交通路に沿って、シャンパーニュ地方や南ドイツでも都市が発達した。

 フランス東北部のシャンパーニュ地方は、二つの商業圏の中間に位置し、諸国からの交通路が集中する交通の要地であったので、トロアを中心とする6都市で順に年6回の定期市が開かれた。「シャンパーニュの大市」として知られ、全ヨーロッパから商人が集まり、東方貿易・北海貿易によってもたらされる商品が取引され、12〜13世紀かけて大いに繁栄した。

 南ドイツではアウグスブルクやニュルンベルクが栄えた。

 アウグスブルクは、初代ローマ皇帝アウグストゥスが設置した要塞が起源で、中世ヨーロッパ最大の銀・銅の産地として有名だった。商業・交易の中心地としても栄え、15世紀には大富豪のフッガー家が台頭した。

 フッガー家は、15世紀にイタリアとの香辛料・羊毛取引で産を成し、15世紀末から銀山・銅山の採掘権を独占して巨万の富を築いて一躍国際的な金融資本家にのし上がり、16世紀には皇帝や教皇への融資を通じてヨーロッパの政治に大きな影響を及ぼした。

 ニュルンベルクは、15世紀頃にはイタリアとの遠隔地貿易の要地として栄え、当時のドイツで1・2を競う大都市となった。またニュルンベルクの商人達は活発な商業活動でも知られ、「ニュルンベルク市民なきところ大市なし」と言われるほどであった。

 その他ドイツでは、ライン川に沿う地域でケルンやマインツが繁栄した。ケルンとマインツには大司教座がおかれ、10世紀以後交易の中心地としても繁栄した。

 フランスでは、ルーアン・ボルドー・マルセイユなどの港市や内陸のリヨンなども栄えた。ボルドーはぶどう酒の輸出港として、リヨンは絹織物生産で知られている。

 今まで多くの都市をあげてきたが、ヨーロッパ中世都市は私たちが想像しているよりはるかに小さく、人口は1000〜5000人位であった。1500年頃に人口が5万人を越えていたのはロンドン・パリ・ヴェネツィア・パレルモ・ミラノ・フィレンツェ・ブリュージュ・ガンの8つだけであった。




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