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203高地の中腹に大きな説明の看板があり、説明板には、「1904年9月19日からの
日本軍の攻撃で日本軍は1万多人、俄(ロシア)軍は5000人の戦死者を出した。
12月5日に日本軍が占領した」とあった。汗びっしょりになって頂上まで登る。
今は樹木に覆われているこの山も、当時ははげ山であった。
頂上には、乃木大将が戦後大砲の鉄を溶かして作ったといわれる「爾霊山」と
刻まれた弾丸の形をした記念碑が建っていた。そこからは旅順港がよく見えた。
入り口の所が左右から伸びた陸地によって狭くなっているのがよく分かった。
日本海軍は狭い入り口に船を沈めて、ロシア艦隊を旅順港に封じ込め、203高地を攻略した後、
203高地に観測所を設けて、28サンチ砲をはじめとする大砲の攻撃によって
旅順港に残っていたロシア艦隊を全滅させた。