2 インドの古典文明


(1)インダス文明
(2)アーリヤ人の侵入
(3)新宗教の成立

(1)インダス文明

 四大文明の1つであるインダス文明は、前2300頃から前1800年頃まで、インダス川の下流のモヘンジョ=ダロとパンジャーブ地方のハラッパーを中心に栄えた都市文明である。当時、インダス川の中・下流域には約60の都市があったといわれる。

 1920年にインドの学者が仏教遺跡を発掘中にハラッパーの遺跡を発見し、そのことを知ったイギリス人の考古学者マーシャルは1922年にモヘンジョ=ダロ(「死人の丘」の意味)を発掘し、遺跡を発見した。

 その後の発掘により、モヘンジョ=ダロからは都市計画に基づいて造られた整然とした都市の遺跡が出てきた。東西南北に直角に交差する広い街路、焼いた煉瓦でつくられた家屋、作業場、穀物倉庫、大浴場などがあり、特に排水路が完備していたことは驚きである。青銅器、彩文土器、印章なども出土している。そして印章や粘土板には文字が刻まれている。いわゆるインダス文字(約400種類あるといわれる)と呼ばれるこの文字はまだ未解読である。

 インダス文明には西アジア、特にメソポタミア文明の影響が強くみられる、すでにインドと西アジアの間で経済的・文化的な交流があったことがうかがえる。

 インダス文明には謎が多い。このすぐれた文明の担い手がまだ明らかになっていないが、現在は南インドに分布するインドの先住民の一つであるドラヴィダ人であろうと考えられている。さらに突如として滅びていく滅亡の原因もよく分かっていない。インダス川の氾濫によるとする説、インダス川の流路が変わったことによるとする説、気候の変化による乾燥化を原因とする説、そしてアーリヤ人によって破壊されたとする説など色々あるがまだはっきりしていない。いずれにせよ前1800年頃から急速に衰え、滅亡した。そしてこの文明の存在も忘れ去られ、それ以後のインド文化にも影響を与えていない。

(2)アーリヤ人の侵入

 中央アジアを原住とするインド=ヨーロッパ語族の東方系、すなわちインドやイランに移動して定住した人々はアーリヤ人(高貴な人の意味)と呼ばれる。彼らは前2000年頃から移動を開始し、氏族・部族単位で前1500年頃までにカイバル峠を越えて、パンジャーブ地方(インドの北西部、インダス川とその4つの支流によって形成される河間地方で五河地方と呼ばれる)に波状的に侵入・定住していった。彼らは先住民(ドラヴィダ人など)を征服して奴隷とし、農業と牧畜を行うようになった。

 農業・牧畜を行うようになったアーリヤ人は太陽、空、山、河、雨、雷などの自然と自然現象を神格化し、これを崇拝した。神々への賛歌や儀礼をまとめたのがヴェーダである。最古のヴェーダである「リグ=ヴェーダ」は神々への賛歌を集めたもので、前1200年から前1000年頃につくられた。他に賛歌の旋律を述べた「サーマ=ヴェーダ」、祭式の実務について述べた「ヤジュル=ヴェーダ」、呪術について述べた「アタルヴァ=ヴェーダ」がある。ヴェーダを根本聖典とし、バラモンが祭祀を司ったバラモン教が成立し、司祭者であるバラモンの力が強まっていった。

 アーリヤ人は前1000年頃から鉄の農具と武器を使い始め、ガンジス川流域に進出するようになった。ガンジス川流域は肥沃な平野で、現在では米作の中心地である。しかし、当時は樹木が繁茂し、虎などの猛獣、毒蛇、猛暑、熱帯病等が人々を脅かしたに違いない。その意味でも鉄器の使用によってはじめてガンジス川流域への進出が可能になったと思われる。そしてガンジス川流域への進出とともに農業生産が高まり、商工業も発展し、村落は都市へと発展し、多くの都市国家が興り、その抗争の中から小国家が形成されて行く。

 このような社会の発展とともに、階級の分化が進んだ。このような社会の変動とバラモン教が結びついて、司祭者であるバラモンを最高位とし、クシャトリヤ(王侯、貴族、武士)、ヴァイシャ(庶民、農民や商工業者)、そしてシュードラ(奴隷、大部分は被征服民)という4つの身分を区別するヴァルナ(種姓)制度が、前9世紀頃に成立した。

 ヴェーダのなかに「創造神の口からバラモンが、両腕からクシャトリヤが、両眼からヴァイシャが、そして両足からはシュードラが生まれた」とあり、ヴァルナ制度はバラモン教、後にはヒンドゥー教と結びついてインド社会に定着して行った。

 この4つのヴァルナは、社会生活の複雑化、職業の細分化とともに、新しいカーストを生じ、現在では約3000あると言われている。これをインドではジャーティという。

 ジャーティは生まれを同じくする集団の意味で、職業・出身地・言語等による小集団で、カーストとも呼ばれるが、カーストは16世紀に来航したポルトガル人が用いたポルトガル語のカスタ(家柄・血統)に由来する。

 カースト制度のもとでは、職業は世襲である。各カーストの間には上下・貴賤の別があり、結婚は各カースト内で行われる。飲食も同じカースト内で行われるなど種々の厳格な規律があり、インド社会の近代化を妨げた。

 カースト制度に関するもう1つの大きな問題は、カーストの外におかれる賤民の存在である。彼らはパリア(ハリジャン)、アウト・カースト、不可触賤民とも呼ばれ、厳しい差別を受け、雑役・清掃・皮革業などの最下賤な職業に従事した。現在3000万人以上もいるといわれる。彼らは見ても触れてもけがれるとされ、ある時代の、ある地方では鈴をつけることを強制され、戸外を歩くときは裸でなければならなかった。服を着ていると他人の衣服に触れる可能性が高いからである。

(3)新宗教の成立

 前7世紀頃、ガンジス川流域を中心に有力都市国家が出現し、いわゆる十六王国時代にはいる。これらの小王国では、形式化した儀式を行うバラモンよりも、現実的な政治・軍事力を持つクシャトリヤや経済力を持つヴァイシャの力が強まり、バラモンの権威が揺らいでくる。バラモンの横暴に苦しんでいたクシャトリヤやヴァイシャは、このような新しい時代に適応する新しい考え方が求められるようになった。こうした状況の中から出てくるのが、ジャイナ教と仏教である。

 当時、祭式万能の形式主義に陥っていたバラモン教への反省と批判のなかから、前7世紀頃に、内面的な思索を重視する最古の哲学ともいうべきウパニシャッド(奥義書と訳される、バラモンの哲学書)が発展した。ウパニシャッドでは祭式の根本意義、宇宙の根本原理、解脱への方法が追求され、宇宙の根源であるブラフマン(梵)と人間存在の根本原理であるアートマン(我)は一つである(梵我一如)と説き、梵我一如によって輪廻から解脱できると説いた。

 ヴァルダマーナ(前549頃〜前477頃)は、シャカと同時代の人で、北インドのクシャトリヤ(貴族)の家に生まれ、30才で出家し、10年以上の苦行の末悟りを開いた。彼はマハーヴィラ(大勇士)、ジナ(勝利者)とも呼ばれ、彼の教えはジナの教えの意味でジャイナ教と呼ばれた。

 ジャイナ教は、霊魂を清く保つためには物質を遠ざけることが必要であるとして、不殺生を初めとする五つの戒律を遵守し、厳しい苦行を行えば霊魂は浄化され、解脱できると説いた。ヴァルダマーナは厳しい戒律と苦行によって誰でも解脱できるとし、バラモンの権威とカースト制を否定した。またその極端な不殺生主義(彼らは道を歩くとき、小さな虫をも殺さぬようにほうきで道を掃き、また呼吸によって虫を吸いこんで殺さぬようにマスクをして歩いた)のために、主として商工業者(ヴァイシャ)階級に信仰された。現在も数百万人の信者がいるが特に金融業者が多い。

 ヴァルダマーナと同じ頃に、ガウタマ=シッダールタ(前563頃〜前483頃)は仏教を開いた。彼は釈迦牟尼(シャカ族の聖者)、仏陀(悟った人)、世尊、釈尊とも称される。彼は、現在のネパール・ヒマラヤ山麓のカピラヴァストゥで、シャカ族の王子として生まれた。

 父はシャカ族の王、母マーヤーは彼の死後7日目に亡くなり、叔母に育てられた。何不自由のない環境のなかで育ち、17才で結婚し男児にも恵まれ幸せな生活を送っていたが、城外に出て人間の老・病・死の実際を見て(一説には不可触賤民の生活を見て)、無常観にとらわれ、29才で突然全てを捨てて出家した。断食を初めあらゆる苦行を行ったが悟りを開くことが出来なかったが、35才のときブッダガヤの菩提樹の下で瞑想の末ついに悟りを開いた。ベナレスでの初めての説法以後、80才で入滅するまでガンジス川流域を中心に布教活動を行い、多くの弟子を得た。弟子にはあらゆるカーストの人々が含まれていた。

 彼の説の中心は四諦説と八正道である。四諦説はまさに哲学である。四諦とは四つの真理の意味で、苦諦・集諦・滅諦・道諦をいう。苦諦とは人生は生・老・病・死の四苦を初め苦の連続であるという真理。ではなぜ人間に苦が生ずるか、それは我々人間が無常のものに執着することにより煩悩(欲望・愛執)にとらわれてしまうからである。煩悩のなかで根本的なものが、貪(貪欲)・瞋(怒り)・痴(無知)である(集諦)。それではいかにすれば苦から開放されるか。それには煩悩を捨てさればよい(滅諦)。そして我々凡人でも煩悩を捨て去ることができる方法として八正道(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の8つの正しい生活の法)の実践をシャカは説いた(道諦)。

 彼は八正道を実践すれば誰でも悟りの境地(解脱、人生の苦を超越すること)に達することができる、悟りの道は全ての人に平等に開かれているとして、カースト制を否定した。このためクシャトリヤやヴァイシャが多く信奉したが、特にクシャトリヤの支持を受けた。そして後にマガダ国の保護を受けて、インド全域に、さらには東南アジア・東アジアに広く伝播してその文化に大きな影響を及ぼし、現在も世界三大宗教の一つとして多くの人々に信仰されている。




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