2 ギリシア世界


(1)エーゲ文明
(2)ポリスの成立

(1)エーゲ文明

 古代文明のうちもっとも早く成立したオリエント文明は、周辺の地域に影響を 及ぼして行くが、その影響を受けてオリエントに近く、地中海で結ばれていた ヨーロッパの東南端のギリシアを中心とする地中海東部でヨーロッパの古代文明が ひらけた。これがエーゲ文明であり、エジプトの新王国、古バビロニアと時を 同じくして栄えた。19世紀頃までは、エジプト文明が直接ギリシア本土に伝わり、 ギリシア文明が成立したと考えられていたが、19世紀の後半にエーゲ文明が その媒介の役割を果たしていたことが明らかになった。

 エーゲ文明は前20世紀頃から前12世紀頃までエーゲ海を中心に栄えた 青銅器文明で前期のクレタ文明と後期のミケーネ文明から成る。

 この文明の内容は、19世紀の後半にドイツ人のシュリーマン(1822〜90) やイギリス人のエヴァンズ(1851〜1941)らの発掘によって明らかになった。

 シュリーマンは幼少の頃読んだ本のなかで、トロヤ落城の挿し絵をみて、 その遺跡の発掘を生涯の念願として追い続け、ついにそれを実現した。 貧しい牧師の子として生まれ、生家の没落で雑貨屋の小僧に始まり、 船の給仕を経てある商店に勤め、苦労しながらもその間、十数カ国語を マスターし、24才頃ロシアに移住し、クリミア戦争や南北戦争の状況を利用し、 インド藍や木綿の取り引きで成功し巨万の富を築いた。そして40才過ぎに 事業から一切手を引き、ギリシア語と考古学の研究の後、1870年に少年時代 からの夢であった3回にわたるトロヤの発掘(1870〜90)に取りかかった。

 トロヤはホメロス(前8世紀頃 )の叙事詩「イリアス」に歌われたトロヤ戦争の 舞台となったところである。「イリアス」には、トロヤの王子パリスが スパルタの王妃ヘレネを誘拐したことから、ミケーネの王アガメンノンを 指揮者とするギリシアの英雄たち(例えばアキレウス(アキレス腱にその名が 残っている) )がトロヤに遠征し、10年の包囲の末、有名な”トロヤの木馬” の計略を使って落城させ炎上させたと書かれている。シュリーマンはこの ホメロスの詩を真実だと確信していた、しかし当時の常識ではこれは伝説で あると考えられていたから、さらにシュリーマンが学界の定説に反して海に 近いヒッサリクの丘をトロヤと考えて発掘を始めたので、学者たちは冷やや かな目でそれを見た。

 ところが第1回目の発掘で城壁、宮殿址と財宝を掘り出し、 専門の学者たちを驚かせた。これに気をよくした彼は、総指揮官アガメンノンが ミケーネ王であったこと、ホメロスが”黄金に富むミケーネ”とうたっている こと、古代の記録に多くの墓があることが記録されていることから1876年以来 ミケーネの発掘に取りかかり、ここでもおびただしい副葬品、特に”黄金の仮面” をはじめとする黄金製品は人々を驚かせた。さらに彼はクレタ島の発掘に取り かかったが、90年に亡くなった。

 シュリーマンの後を受け継ぎ、クレタ文明を 発見したのがエヴァンズである。彼は新聞社に勤めバルカンを旅行したときに、 シュリーマンに会ってその指導を受け、のちオックスフォード大の博物館の 館員となり考古学を教えた。そしてギリシア旅行中に見た出土品がクレタの 起源のものと推定し、クレタ島に渡り、1900年以降クノッソス王宮遺跡の 発掘を始めた。そして伝説上のミノス王の宮殿跡をはじめ、陶器、壁画、 金銀細工などを発見し、この文明がそれまで知られていない青銅器文明である こと、エーゲ文明の中心がクレタであることを証明した。

 こうしてシュリーマンや エヴァンズによるこれらの遺跡の発掘によってエーゲ文明の存在が実証された。

 クレタ(ミノス)文明は、前20世紀頃から前15世紀頃にクレタ島を中心に 地中海の海上貿易によって栄えた海洋文明、青銅器文明である。クノッソスの 大宮殿の遺跡から強い権力を持った王がいたことなどが分かるが、この文明を つくりあげた民族系統などは不明である。最古の海洋文明として繁栄したが、 前15世紀頃アカイア人(ギリシア人)の侵入によって滅んだ。

 ミケーネ文明は前15世紀頃から前13世紀頃、最も栄えた文明でその中心は シュリーマンの発掘で有名なギリシア本土のミケーネ・ティリンスである。 この文明の小国家は巨石で造られた城壁を持っているところから小規模ながら 専制国家であったと考えられている。この文明はアカイア人がオリエントや クレタの文明の影響を受けてつくった青銅器文明だが、ギリシア的な要素も 濃い。前12世紀頃、ドーリア人の侵入を受けて滅亡した。

(2)ポリスの成立

 ギリシアは、平野に乏しく、山がちで、島が多く、海岸線は非常に複雑で ある。面積は日本の九州の約1.5倍くらいである。夏は少雨で乾燥し、冬は 温暖で雨が多い、典型的な地中海性気候で、穀物農業よりも、オリーブ、 ぶどう、いちじくなどの果樹栽培に適している。

 ギリシア人はインド=ヨーロッパ語族に属し、もともとは中央アジア・ 南ロシアに住んでいたが、大多数が西に進みヨーロッパに入って行くなか、 途中から分かれバルカン半島を南下したギリシア系は、前20世紀頃からギリシア 半島に南下、定住していった。

 そのギリシア人の南下・定住は二度にわたる。 前20世紀頃の第1次移動で南下・定住したギリシア人をアカイア人と総称して いる。彼らは後に方言の違いからイオニア人、アイオリス人に分けられるが、 一部はクレタ島に渡り、クレタ文明を滅ぼし、その影響のもとでミケーネ文明を 築いた。

 第2次移動は前12世紀頃で、ドーリア人が鉄器をもって南下、ミケーネ 文明を滅ぼし、半島南部からクレタ島に侵入し、先住民を征服し、定住して いった。ドーリア人が鉄器を持ち込んだことから、以後ギリシアは鉄器時代に 入る。このドーリア人の侵入によって先住民であるイオニア人、アイオリス人は 追われてエーゲ海の島や小アジアにも移住した。

 ドーリア人の侵入とミケーネ文明の滅亡後、長い混乱時代(暗黒時代) が続いた。この混乱は前8世紀頃にはおさまり、ギリシアには1000あるいは 1500以上のポリスが成立した。

 ポリスの成立の過程はさまざまであるが、 多くは集住(シノイキスモス)によって成立した。アテネ(アッティカ)型 ポリスと呼ばれ、代表的なポリスはアテネである。地域ごとに有産者(貴族) が中心となり、軍事的・政治的・経済的要地へ全住民を強制的に移住させた。 ポリスの中心部をアクロポリスと呼ぶが、一般的には小高い丘で主に貴族が 住み、政治・宗教の中心であった。その周りの麓にあった公共広場はアゴラと 呼ばれ、商業・集会・裁判などが行われた。そしてその周りを城壁で取り 囲んだ。

 もう1つの典型はスパルタである。スパルタは、ドーリア人が先住民を 征服して建てたポリスで、これはスパルタ型ポリス、征服型ポリスと呼ばれる。 スパルタでは、スパルティアタイと呼ばれる約5000人程の完全市民=戦士が 貴族であり、支配階級であり、官職を独占した。そして征服された先住民は ヘロットと呼ばれて国有奴隷とされ、農業労働を強制された。その数は 約5万人程。そして約2万人程のペリオイコイ(周辺に住む者の意味)と 呼ばれた劣格市民がいた。彼らは、同じドーリア人だが、何等かの理由で この身分とされ、主として商工業に従事し、従軍の義務はあったが参政権は なかった。

 数の上で少数の完全市民は十倍以上の人口を数えるペリオイコイ、 ヘロットを支配するためには、全員が強い戦士であることを要求され、 そのためにいわゆるスパルタ教育が行われ、軍国主義が形成された。 二人の王、長老会(30人)、民会(30才以上全員)を国の基本の制度と すること、そして独特の軍国主義、鎖国的諸制度を定めたのはスパルタの 伝説的立法者のリュクルゴス(前9世紀頃 )であるとされている。

 完全市民のスパルタ人の一生は次のようであった。新生児のうち虚弱、 奇形の場合は山に遺棄された。7才で家庭を離れ、共同生活に入る。12才から 肉体的訓練を中心に本格的な訓練を受ける。18才で軍隊に編入され、20才で 主力軍となり、30才で兵営を離れ、家庭を持つが、兵役義務を負い、60才で 兵役が解除となった。

 古代ギリシアの歴史は、ポリスの発生・発展・没落の歴史と言える。 ポリスは独立した都市国家で、その間には戦争が絶えることがなく、また ギリシア全体が一つにまとまることもなかった。しかし、その一方で ギリシア人は一つの民族としての意識を失わなかった。

 彼らは自らをヘレネス (英雄ヘレンの子孫の意味)と呼び、異民族をバルバロイ(聞き苦しい言葉を 話す者の意味、この単語から英語のbarbarian=未開人、野蛮人が出来る)と 呼んで軽蔑した。なおギリシア人という言い方は、後のローマ人が呼んだ 呼び方である。

 宗教では、ギリシア神話でおなじみの主神ゼウス、その妻 ヘラをはじめポセイドン(海と大地の神)、アポロン(太陽の神)、アテナ (知恵の神)、アフロディテ(美の女神)をはじめとするオリンポスの十二神が 信仰された。オリンポスは山の名でそこに神々が住んでいると考えられていた。 また神託を信じた。各ポリスの守護神の神託を求めたが、特にデルフィ (ポリスの名)の守護神アポロン神の神託は有名で、全ギリシアのポリスが 宣戦・講和・植民の是非などを尋ねた。神殿と祭礼を同じくするポリス間では 隣保同盟が結ばれた。

 そして有名なホメロスの二大叙事詩である「イリアス」と 「オデュッセイア」は全ギリシア人に愛誦された。

 一番有名なのがオリンピア (ポリスの名)の競技である。前776年から4年毎に行われ、後393年まで実に 千年以上続いた。近代オリンピックは1896年にクーベルタンによって提唱され 始まったが、1996年のアトランタ大会でやっと100年が経過しただけである。 4年毎の真夏に行われるオリンピックの期間中は選手や見物人の往来安全の ために一切の戦争行為が停止されたことはよく知られている。もちろん選手は 男性だけで、全裸で競技を行い、競技には競争(短距離、中距離、長距離) と五種競技(走り幅跳び、槍投げ、短距離走、円盤投げ、レスリング)そして レスリング、ボクシング、競馬、戦車競争などがあったが、当時の体育の 目的がよりよい戦士の養成にあったことをよく示している。




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