1 古代オリエント


(4)古代オリエントの統一

 古代オリエント史は、前2000年から前1500年頃の諸民族の大移動と それに続く新国家の建設の混乱期を経て、諸国が統合されて行く時代へと 移って行く。古代オリエントを初めて統一したのがアッシリアである。

 アッシリア人はセム系の民族で、前2000年頃、北メソポタミアに都市国家を 建設した。アッシリアの名は、彼らが最初の都を、民族神アッシュールの名に ちなんで、「アッシュール神の都」すなわちアッシュールと名ずけたことに 由来する。しかし、前1500年頃からミタンニに服属し、前14世紀にミタンニ から独立し、以後次第に国力を発展させていった。そして前9世紀頃から 大発展を遂げて行く。

 アッシリアが非常な成功を納めたのはヒッタイトから 学んだ鉄の力による。優秀な製鉄技術を持ち、鉄製武器で装備された勇猛果敢な 軍隊を率いて、次々と周辺の諸民族・諸国家を征服していき、前8世紀の ティグラトピレセス3世、サルゴン2世(位前722〜前705)の時には大帝国と なった。

 特に、サルゴン2世はイスラエル王国を滅ぼし、エジプトをパレスティナ から逐い、バビロンを陥れた。その子セナケリブ(位前704〜前681)は、都を ニネヴェに移した。そしてアッシュール=バニパル(位前669〜前626)の父の とき、前671年についにエジプトを征服し、史上初めて全オリエントを統一した。

 ”大征服王”といわれるアッシュール=バニパルの時には、史上空前の世界 帝国となった。彼はニネヴェに壮大な王宮を営んだが、その宮殿の浮彫は 有名である。アッシリアの歴代の王は猛獣狩りを非常に好み、当時シリアから メソポタミア北部に多くいたライオン狩りが盛んに行われ、その様子が浮彫に 描かれている。王はまた世界最初の図書館を建てた。1850年から行われた ニネヴェの発掘によって、2万点以上の粘土板文書(楔形文字)が発見され アッシリア学成立の基礎となった。

 アッシリア王は、専制君主として、軍事・ 政治・宗教を統括し、帝国を州に分け総督を派遣して統治させたが、強力な 軍事力による圧政と重税、被征服民の強制移住、情け容赦のない大殺戮、 大略奪を行ったので、被征服民族の反乱に絶えず悩まされた。 アッシュール=バニパルの時代には兄との内紛もあって帝国は衰退し、 前612年、メディア・新バビロニア連合軍に首都ニネヴェの陥落とともに 滅亡した。

 アッシリアの滅亡後、オリエントにはエジプト、リディア、新バビロニア、 メディアの四国が分立することとなった。エジプトには最後の第26王朝が成立 したが振わなかった。小アジアに建国されたリディア(前670頃〜前546) は 経済的に繁栄し、前7世紀後半、この国では世界で初めてて鋳造貨幣が使用 された。

 アッシリアの滅亡後、オリエント諸国の主導権を握ったのは新バビロニア (カルデア)(前625〜前538)である。新バビロニアの支配階級はセム系の カルデア人だったが、被支配民は古い伝統をもつバビロニア人であった。

 王国の最盛期は治世40年に及んだネブカドネザル2世(位前604〜前562)の時代で、 侵入してきたエジプト軍を大破してシリアを奪い、ユダ王国を滅ぼして 「バビロン捕囚」を行い、フェニキア人の都市ティルスを滅ぼし、また首都 バビロンに壮大な宮殿を建造し、経済的にも繁栄し、その繁栄は「バビロンの栄華」 と呼ばれ、空中庭園やバベルの塔が造られ、新バビロニアはオリエント第一の 強国となった。

 しかし、王の死後、衰退し、前538年にアケメネス朝ペルシアに よって滅ばされた。メディア(?〜前550)は前9世紀頃にペルシアの北西の 山岳地帯に入ったインド=ヨーロッパ語族(アーリア人)のメディア人が、 前8世紀末に建国、前7世紀に新バビロニアと連合してアッシリアを滅ぼし、 イラン高原を支配下におさめ、大帝国を建設した。

 メディアに臣従する王として、イラン高原の南西部のペルシス (パールス)地方(ペルシアの名の起源)を支配していたキュロス2世 (前600頃〜前529)はメディアに反旗を翻し、前550年にメディアを滅ぼして アケメネス朝ペルシア帝国(アケメネスはキュロス2世の4代前の王国の始祖の 名)を興し、次いで前546年にはリディアを滅ぼし、そして前538年には 新バビロニアを滅ぼし、「バビロン捕囚」からユダヤ人を解放した。そして、 エジプトを除く全オリエントを統一し、以後200年以上続く大帝国である アケメネス朝ペルシア帝国の基礎を築いた。

 ついで2代目カンビュセス2世 (位前530〜前522) は、前525年に、父以来の懸案であったエジプト征服を 完成した。

 アケメネス朝3代目の王が、史上有名なダレイオス1世(大王) (位前522〜前486)である。彼は王家の分家の出身であるが、キュロス2世の 娘と結婚し、カンビュセス2世死後の反乱を鎮圧して即位した。彼は治世の 間に、東はインダス川流域から西はエジプト、マケドニアまでを征服し、 アジア、アフリカ、ヨーロッパの3つの大陸にまたがる世界史始まって以来の 空前の大帝国を築きあげた。

 この大帝国の統治にあたっては、全土を20の州に 分け、王が任命するサトラップ(知事、総督)を派遣して統治させ、 サトラップの監視のために「王の目」「王の耳」と呼ばれた直属の監察官を 派遣し、州を巡察させて王に報告させた。首都スサに大宮殿を造営、新都 ペルセポリスにも壮大な宮殿を建設した。

 また首都と各都市を結ぶ軍道 (「王の道」)を建設するとともに、駅伝制を確立した。ちなみに、スサと 小アジアのサルディス間は2600kmあるが、111の駅をおき、役人と馬を配置し、 隊商隊が90日かかるところを7日で連絡したといわれる。

 さらに彼は大帝国を 統治する財源を確保するため、ダレイオス金貨を鋳造して貨幣を統一し、 税制を整備し、フェニキア人の海上貿易を保護して税収の増大をはかった。

 宗教については、彼自身はゾロアスター教を信仰したが強制せず、服属した 異民族には固有の信仰を認め、また風俗・習慣も認めるなど寛容な統治を 行ったので、アケメネス朝は200年以上にわたって続いた。

 しかし、 商業圏をめぐる争いから小アジアのギリシア植民市が反乱を起こしたので、 ギリシア遠征を行った。これが有名なペルシア戦争(前500〜前449)である。 第1回目の失敗の後、第2回目の遠征でもマラトンの戦い(前490)に敗れ、 さらに遠征を準備中に病没した。

 彼の死後、7代、8人の王が150年間帝国を 支配するが、最後の皇帝ダレイオス3世(位前336〜前330) は、 アレクサンドロス大王の侵入を受け、アルベラの戦いに敗れた後、バクトリア (中央アジア)に逃れたが、同地のサトラップに殺され、ついにアケメネス朝 ペルシア帝国は前330年に滅亡した。

 ペルシア人は、ゾロアスター(ツァラトゥストラ)(生没年不明、 前7世紀頃)が30才頃、天啓を得て預言者となり、伝統的信仰の改革を進めて 創始したといわれるゾロアスター教を信仰した。

 その教義は、善神アフラ= マズダ(光明・善神)と悪神アーリマン(暗黒・悪神)の対立を前提とする 二元論で、善神アフラ=マズダと悪神アーリマンの抗争で善神が勝利すれば、 それが我々の世界に反映されこの世は平和でよい世界になる、反対の場合は この世は乱れ悪いことが起きると考える。善神と悪神の優越は3000年毎に 交替し、9000年または12000年目に決定的戦闘の結果、善神が勝利し善なる 人々の霊魂が救われるとした。従って人間は善神に味方しなければならず、 そのためには厳しい戒律が必要とされた。

 善神アフラ=マズダは光明神で あるので、火が神聖視され、儀式には盛んに火が焚かれる。そこで後に 中国に伝来した時、「けん(示へんに夭)教」「拝火教」と呼ばれた。ゾロアスター教の 最後の審判、天国と地獄、天使と悪魔の思想はユダヤ教やキリスト教にも 影響を及ぼしている。

 イランのベヒストゥーン碑文は、ダレイオス1世が戦勝を記念して 刻んだものであり、捕虜を引見する王とアフラ=マズダ神の浮彫、そして 銘文が楔形文字でペルシア語、エラム語、バビロニア語をもって書かれている。 これをローリンソンが転写して、研究し、楔形文字解読に成功したことは 前に述べた。アケメネス朝の時代にはペルシア語を表すために楔形文字が 採用され、いわゆるペルシア文字がつくられた。




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