第1章 先史の世界


 1 人類の出現
(1)最古の人類

 人類の誕生は今日では約400万年前にさかのぼるとされている。 人類が猿から進化してきたという、150年ほど前に発表されたダーウィンの進化論は 今日では一部の人々を除いて受け入れられ、常識となっている。だとすると、 人類の誕生とは猿から進化してきた動物をどの時点から人間と呼ぶかという問題になる。

 一般的には、人間と他の動物との違いを、直立して二足歩行すること、道具を作ること (使うことではない)、言葉をしゃべること、火を使うことに求め、これを人類の 特性とよんでいる。ただし、この4つの条件をすべて満たさなくても、直立二足歩行、 道具の製作の条件を備えれば、これを人類と呼んでさしつかえない。猿がなぜ、 どのような過程を経て二足歩行するようになったかは、多くの学者が様々な説を 唱えているので本で読んでほしい。

 ともあれ、この地球上に猿とも人類とも呼べる 動物が登場してきたのが、今のところ(今後さらに古い人骨が発見されることは 間違いないが)約400万年前のこととされている。約46億年前とされる地球の誕生から 考えると、人類の誕生は地球の歴史を1年間とすると、まだ7時間36分しかたっていない ことになる。

 現在のところ最古の人類とされているのが、アフリカで発見された アウストラロピテクス(南方の猿の意味)などの猿人である。猿人はチンパンジーなどの 類人猿から人類への進化段階にある人類の祖であり、彼らは直立して二足歩行し、 礫石器とよばれる、普通の石と見分けられないような簡単な道具を製作していた。 大脳の容量はゴリラと大差がない500cc程(現生人類は1500cc前後)である。

 地球の歴史でいうと更新世(洪積世)、いわゆる氷河時代にあたる約50万年前になると、 原人が出現してくる。ジャワ原人(ピテカントロプス・エレクタス)や北京原人 (シナントロプス・ペキネンシス)などがその代表である。原人になると大脳の容量は 平均1100ccで、簡単な言語を使用した。北京の周口店(北京の西南約54km)の 石灰洞から1927〜37年の大発掘では北京原人をはじめ、人類や動物の化石が大量に 発見された。彼らが火を使用していたことも分かっている。しかし、周口店の発掘は 日中戦争の勃発で中止され、北京原人のほぼ完全な頭蓋骨も第二次世界大戦中に 行方不明となってしまった。

(2)旧人

 約20万年前になると、一層進化した旧人が現れた。その代表がネアンデルタール 人である。1856年にドイツで発見され、その後各地で発見されている。 骨格は現生人類に接近し、大脳容積も現生人類とほぼ同量の1500cc前後である。 彼らは膝を曲げて歩いていたと想像されている。精神生活も以外に発達しており、 死者を葬る埋葬の習慣をすでにもっていた。

(3)新人の登場

 更新世(いわゆる氷河時代)の末期(約4万年〜1万年前)になると新人 (現生人類)が現れた。その代表は1868年に南フランスで発見されたクロマニョン 人である。彼らは約3万年前に出現したが、体質的には現代人とほぼ同じであり、 現在の我々の直接の祖先と考えられている。

 この頃になると、同じ打製石器と いっても、以前とは比較にならないほど製作の技術も発達し石器の種類も増えている。 さらに石器のほかに骨角器も盛んに使われた。骨角器の使用は従来の石器では つくれなかった小さい道具、例えば針・釣針などの製作が可能となり、道具の種類も 豊富になった。また弓矢も発明され、これによって今までよりはるかに容易に多くの 種類の獲物を捕らえることができるようになった。

 こうして採集や狩猟・漁労の 生活が従来よりはるかに豊かになり、生活にも少し余裕ができてきた。こうした なかから洞穴美術も生まれてくる。有名な1879年に発見された北スペインの アルタミラの遺跡、さらに1940年に南フランスで発見されたラスコーの遺跡などである。 そこには野牛をはじめとする生き生きとした動物の絵が描かれているが、とても 1万年以上も前に描かれたとは思えないほどすばらしい。ところがこれらの絵は 洞窟の奥のほうに描かれている、ということは洞窟の奥に神聖な場所があって、 そこで獲物がたくさん取れますようにという呪術が行われた、そのために描かれた ものであろう。

(4)新環境への適応

 いまから約1万年程前、第4氷期が終わり、後氷期にはいる。地球の歴史でいうと 第4紀の後半、完新世(沖積世)になると、気候は次第に温暖化し、地球の気候や水陸の 分布、動植物界が現在とほぼ同じになった。この新しい環境に適応するために、地域ごと に生活様式が変わっていった。

 2 文明への歩み
(1)農耕・牧畜の開始

 人類が従来の採集や狩猟・漁労の生活から農耕・牧畜の生活を始めたことは、 人類の長い歴史のなかでも、最も重要な革命的な変化であった。この食料生産革命は 約9000〜8000年前に、西アジアのどこかで始まった。これによって生産は飛躍的に 増大し、人々の生活は安定し、文化も急速に発展するようになる。

 考古年代では、 従来の採集や狩猟・漁労の生活に頼っていた時代を旧石器時代と呼び、農耕・牧畜の 開始以後の時期を新石器時代と呼ぶ。人類の歴史の、実に99.75%は旧石器時代と いうことになり、農耕・牧畜の開始から現代まではわずかに0.25%ということになる。

 狩猟から農耕社会に移っていく約1万年前の地球上の人口はわずかに約1000万人ほど、 それが農耕・牧畜の発達により紀元前後の頃には約3億人になり、産業革命期の 1800年には約10億人に増えていく。(1900年約17億人、1996年約58億人) 農耕・牧畜の 開始による人間の生活の劇的な変化はどんなに強調してもしすぎることはないであろう。

 農耕・牧畜の開始はどのようにして始まったのであろうか。野性の麦を採集して 持って帰る際にこぼれた種子から翌年生育して行く様子をみて、住居の近くに種子を 撒いて収穫する過程が想像される。またたまたま捕獲してつないでいた妊娠中の 山羊が子どもを生んだということが想像できる。しかし、初期の農耕・牧畜は いままでの採集や狩猟・漁労の生活を補うものでしかなかったであろう。

 しかし、農耕・牧畜の発達によって人々の生活は安定し余裕が出てくる。こうしたなかで 磨製石器(これを作るのにどれだけ時間がかかったのか想像もできないが)、 土器の使用が始まり道具は一層豊富になり、織物もつくられた。また定住生活も 始まり、小屋のような住居がつくられ、集落が形成され、大村落が出現し、 それはやがて都市に発展していき、都市国家が出現してくる。

 このような変化が いち早くおこったのは、ナイル川、ティグリス・ユーフラテス両河、インダス川、 黄河の流域であり、これらの地域から世界の四大文明が発生した。

 これらの地域は、現在のわれわれからみるとむしろ自然条件が厳しいところである。 インダス川よりガンジス川のほうが、黄河よりも長江流域のほうが農業に適している。 なぜガンジス川、長江でなくてナイル川、ティグリス・ユーフラテス両河、インダス川、 黄河なのか。

 これについてイギリスの歴史学者トインビー(1889〜1975) は大著 「歴史の研究」のなかで“挑戦と応戦”という言葉で説明している。つまり、 自然条件が恵まれたところでは人間は余り努力しなくても自然の恵みで生活できる。 ところが自然条件が厳しいところでは人間は積極的に自然に働きかける努力をしない といけない、だからむしろ自然条件が厳しいところで文明が興ったのだと説明している。

 人類の歴史は先史時代から歴史時代へと移っていく。先史時代とは文字発生以前をいい、 歴史時代は文字発生以後をいう、従って歴史時代以後の歴史の研究は主に 文字資料によることになる。文字は都市国家の成立と同時期に、支配階級が祭祀を 司り、租税の記録の必要のために発明された。四大文明ではそれぞれ独自の文字が 発明されている。いよいよ歴史時代にはいって行く。



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