4 19世紀のヨーロッパ文化

3 哲学と人文・社会科学

 哲学では、18世紀末にドイツのカント(1724〜1804)がイギリス経験論と大陸の合理論を総合・批判してドイツ観念論哲学を創始した。

 ドイツ観念論哲学は、ナポレオンの占領下で「ドイツ国民に告ぐ」と題する連続講演を行ったフィヒテ(1762〜1814)やシェリング(1775〜1854)に引き継がれ、ヘーゲルによって完成された。

 ヘーゲル(1770〜1831)は、世界を精神の自己発展の過程としてとらえ、その発展の論理として弁証法を提唱した。弁証法は、あるもの(正)があると必ずそれと矛盾し・否定するもの(反)が生まれ、その対立・矛盾・否定を通してより高いものに総合される(合)、この正・反・合がくり返されて事物が発展していくとする考え方である。

 ヘーゲルは、精神は主観的精神・客観的精神・絶対的精神(絶対精神)の三段階に発展していく、精神の本質は自由にあるから世界史は自由が実現される過程であると論じた。

 ヘーゲルの死後、ヘーゲル左派のフォイエルバッハ(1804〜72)はヘーゲル哲学を批判し、人間は自然物であり、自然物以外は何者も存在しないとする独自の唯物論(一般的には、世界を精神的なものと物質的なものに区別し、物質的なものが世界を動かしていく根本原理であるとする考え方)を樹立した。

 マルクス(1818〜83)は、フォイエルバッハの唯物論とヘーゲルの弁証法を受け継いで弁証法的唯物論を確立し、歴史の発展を弁証法的唯物論の立場から解明する唯物史観(史的唯物論)を唱えて資本主義の没落と社会主義への移行の必然性を説いた。

 またドイツのショーペンハウエル(1788〜1860)は、カントの後継者を自任し、フィヒテやシェリングを攻撃し、インド古典哲学の研究に打ち込み、「生きることは苦しみの連続である」という厭世哲学(ペシミズム)を展開した。

 イギリスでは、ベンサム(1748〜1832)が功利主義を創始した。
 ベンサムは人生の目的を幸福におき、快楽の量が大きいほど幸福であると考え、幸福・快楽を道徳的に善とみなし、幸福や快楽をもたらすものを功利と呼んだ。そして個人の幸福と社会全体の幸福の調和が大切であるとして「最大多数の最大幸福」を功利主義の標語とした。

 ジョン=ステュアート=ミル(1806〜73)は、ベンサムが快楽の量を重視したのに対して、「満足した豚であるよりは、不満足な人間である方がよく、満足した愚か者であるよりは、不満足なソクラテスである方がよい」と述べて、快楽の質を重視し、功利主義をさらに発展させた。

 フランスのコント(1798〜1857)は、実際に確かめることの出来る経験的な事物のみを学問的知識の源泉とする実証主義を体系化し、また社会活動を支配する法則も科学的に求められるとして社会学を創始した。

 デンマークの思想家キルケゴール(1813〜55)は、ヘーゲルの観念論哲学を批判し、世界の発展を論じるよりも、今ここに存在している自分がいかに生きるかを追求する方が大切であるとし、神への信仰を通じて人間は絶望から立ち上がることが出来ると説いた。キルケゴールは、20世紀に盛んとなる実存主義の先駆者とされている。

 19世紀は「歴史の世紀」と呼ばれている。ナポレオン支配に対して民族意識が高まったドイツが歴史研究の中心となった。

 19世紀最大の歴史家ランケ(1795〜1886)は、生涯のほとんどをベルリン大学で過ごしたが、彼は厳密な史料批判によって史実を確定する客観的な歴史研究の方法を確立し、近代歴史学の祖と呼ばれている。 ランケは、16〜17世紀のヨーロッパ各国の歴史を多く書いた。また各国史の寄せ集めでない「世界史」を書こうとしたが未完に終わった。

 ドイツの歴史家としては、ランケ以外に、『ヘレニズム史』を書いて、ヘレニズムという言葉を初めて使ったドロイゼン(1808〜84)、『十九世紀ドイツ史』を書いたトライチュケ(1834〜98)、『ローマ史』で有名なモムゼン(1817〜1903)らが有名である。

 フランスでは、七月王政末期の首相で『ヨーロッパ文明史』を書いたギゾー(1787〜1874)、『フランス革命史』を書いたミシュレ(1798〜1874)らが現れ、またイギリスでは、ホイッグの立場から『イギリス史』を書いたマコーリー(1800〜59)や『フランス革命史』で有名なカーライル(1795〜1881)らが現れた。

 法学では、自然法思想や啓蒙合理主義に対して、一国の法はその国民の固有の文化から生まれた歴史的所産であると考え、法の歴史性や民族性を主張する歴史法学がドイツのサヴィニー(1779〜1861)によって唱えられた。

 経済学では、イギリスのマルサスやリカードがアダム=スミスに始まる古典派経済学を継承・発展させた。

 マルサス(1766〜1834)は古典派経済学を代表する学者であるが、『人口論』の著者としてよく知られている。彼は、『人口論』(1798)において「人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加しない」ので、過剰人口による食料の奪い合いや貧困の増大は不可避であると考え、禁欲による人口増加の抑制が必要であると説いた。

 リカード(1772〜1823)は、労働価値説(商品の価格はその商品の生産に要する労働時間によって決定されるという説)・差額地代説・分配論などを完成し、古典派経済学を大成した。

 ドイツでは歴史学派経済学が生まれた。歴史学派経済学は経済現象を歴史的に考察しようとするもので、その先駆者となったドイツのフリードリヒ=リスト(1789〜1846)は、経済発展の遅れた国では国家による保護が必要であるとして、自由貿易政策を批判して保護貿易政策を主張し、ドイツ関税同盟(1834年発足)の結成に努力した。

 またマルクスは、資本主義を研究・分析して『資本論』(第1巻は1867年刊)を著し、マルクス経済学を樹立した。  




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