中国東北地方の旅(1999)

第8日(ハルビン〜大連・旅順)
第8日目 1999年8月8日(日)ハルビン〜大連・旅順
4:50  4:50頃、目が覚める。青木先生とスターリン公園を散歩(5:30〜6:20)。日曜日とあって朝から多くの人が散歩・体操(エアロビクス調)をしている。最近は太極拳や気功をしている人をあまり見ない。
 自由市場の方へ行くと、多くの店が出て活気にあふれている、すごい人。肉屋が圧巻、大きな肉のかたまりを次々と捌いていく、後ろには5頭の皮を剥いだ豚がぶら下がっている。生きた鶏も売られていた。
 ホテルに帰り、朝食(6:30)。チェックアウト、部屋でミネラルウオーターを1本空けたが、値段が何と20元、これは高すぎる。
 7:30に出発予定であったが、スターリン公園の自由市場に行ったHさんがはぐれて帰ってこない。今日は、このあとハルビン空港から大連に飛ぶ予定になっていて、時間が限られている。
 Mさん、ケさん、青木先生らが必死に捜す。予定時間を15分ほど遅れてHさんが帰ってこられて全員ほっとする。ホテルの位置を見失って通り過ぎて道に迷ったとのこと。 
7:50  7:50、ホテルを出発。空港まで急ぐ。何とか約1時間ほど前に空港に到着(9:15)。
 ハルビン空港は、市内から約50kmも離れたところに新しく建設された。新しくすばらしい空港だ。今回もセキュリティーチェックで引っかかり、ボディーチェックを受ける。どうもベルトの金具が原因と思うのだがよく分からない。
 大連行き飛行機は10:25に離陸。今回は窓際の席に座れたが、雲が多く下界は見えず。
 しかし、途中から晴れてきて道路・集落もよく見える。大連周水子空港へ着陸(11:45)。
12:00  空港の近くの機場(飛行場の意味)賓館で昼食(12:05〜55)。バスで旅順に向かう(13:00)。
 現地ガイド、大連中国旅行社の李さん。日本語が本当に達者。途中、周水子空港の近くに止まる。ここはMさんが戦後しばらく居られた所、Mさんの説明、ビデオ撮影を行う(13:10〜20)。
 再びバスに乗り込み、旅順へ。旅順まで約40分。
13:30  李さんのガイド。大連は今年市制100周年を迎えた。
 市街人口は約170万人、郊外人口は約540万人。戦前は約20万人(約25%)の日本人が住んでいた。
 旅順は大連市の一部の旅順口区で、軍港であるので軍人が多く、1996年にやっとその一部が日本人観光客に解放された。
 旅順は、古くは吼子口(ししこう)と呼ばれていた。
14:00  水師営に到着(14:00)。
 この建物は、1996年に当時の資料をもとに再現された。もとは乃木大将が親しくしていた中国人の劉さんの個人の家だった。
 水師営会見所を見学。思っていたより小さな建物だった。ほぼ長方形の建物の左側が露軍委員控室、右側が日本軍委員控室になっていて、有名な乃木将軍とステッセル将軍との会見は露軍委員控室の方で行われた。
 棗の木は枯れていた。水師営を出発して203高地に向かう(14:20)。
14:45  203高地(後石山)の中腹に到着(14:45)。
 説明の大きな看板があり、側に「遼寧省文物保護単位、日俄戦争遺址」の石柱が立っていた。
 説明板には、1904年9月19日からの日本軍の攻撃で日本軍は1万多人、俄(ロシア)軍は5000人の戦死者を出した。12月5日に日本軍が占領したとあった。
 30度は超える暑さの中、汗びっしょりになって頂上まで登った。
 今は樹木に覆われているこの山も、当時ははげ山であった。そのことが日本軍の犠牲を大きくしたと思う。
 頂上近くにロシア軍の塹壕の址が残っていた。今は土に埋もれて浅くなっているが、当時は深い塹壕であったろう。
 頂上には、乃木大将が戦後大砲の鉄を溶かして作ったといわれる「爾霊山」と刻まれた弾丸の形をした記念碑が建っていた。
 そこから旅順港が一目で見渡せた。入り口の所が左右から伸びた陸地によって狭くなっている。日本海軍が旅順港を封鎖するために船を沈めたのはあの辺りであったろうと思い、現地に立って実際に見ることの大切さを改めて感じた。
 日本軍は、この203高地に観測所を設けて、28サンチ砲をはじめとする砲の攻撃によって旅順港に残っていたロシア艦隊を全滅させることが出来た。
 登ってきた道と違う道を通って山を降った。途中にもロシア軍の塹壕址や乃木大将の次男の乃木保典戦死の碑を見て、バスに戻った。
 203高地を出発(15:10)。
15:10  旅順港の側を通り、大連に向かう。中国海軍の艦艇が数隻見えた。
 旅順には、安重根(伊藤博文をハルビン駅で暗殺した朝鮮人義士)が収監され・処刑された旅順監獄跡があるが、鉄道より東の地区は立入禁止になっているため見学することは出来なかった。
 旅順から大連へは3つの道がある。来るときは北寄りの道を来たが、帰りは南寄りの風光明媚な海岸線の道を通る。途中、黄海に面したきれいな海水浴場などを通過。
15:40  李さんのガイド。大連市は市制100周年を迎え、空港をはじめ、旅順・大連間の高速道路の開通(8月1日)をはじめ、きれいな街造りに取り組み、中国一の観光都市を目指している。また高新技術(ハイテク技術)区を大連郊外に建設するなど将来を見据えた都市づくりにも取り組んでいる。
 大連市民は現市長の手腕を高く評価している。市長はとても人気がある。
 大連郊外にはりんご畑が多い。ふじ・国光などが栽培されている。
 個人住宅が計画的に次々に建設されている。大連では家にスチームが通っていて1000元を払えば11月から3月まで快適に過ごせる。
 大連には13の大学がある。大連理工大学・大連海事大学・大連鉄道大学・大連医科大学などが人気がある。
 大学入試は7月から9月にかけて行われ、新学期は9月に始まる。
 大学は全寮制で寮費は無料である。学生は学費日本円にして5万から10万円(聞き違えか?)を負担する。
 大連では満7歳で小学校に入学する。夏休みは7・8月である。
 大連市内では、自動車はクラクションを鳴らしたら罰金を取られる。そのため、他の街に比べて静かである。
16:10  星海公園を通過。左右に旧日本人街が見える。
 プラタナス・ポプラ・アカシアの街路樹がよく植えられている。
 新しいビル・マンションの建設ラッシュ。
 坂が多いこともあって自転車は少ない。二階建てのバスを多く見かける。
 バスは黄海を望む美しい海岸線の道路(浜海路)を進む。付家荘海水浴場・華僑の別荘地区を見ながら、やがて北大橋(大連と北九州市の友好を記念して建設された橋)に到着(16:35)。
 北大橋を出発(16:45)、虎灘公園の大きな虎の石像を車中から眺めながら、「浜海友誼」(ショッピングセンター)へ。
17:40  「南山賓館」で夕食(17:40〜19:10)。
 最後の夕食とのことで大連名物の海鮮料理。えび・かに等がおいしかった。
 紹興酒を暖める錫のポットのような物を200元で買う。おみやげ品で家内が一番気に入ったのがこれだった。
 ホテル「大連国際酒店」に到着(19:30)。いよいよ最後の夜。10:30頃就寝。


目次へ戻る
次へ