中国東北地方の旅(1999)

第6日(七台河・勃利)
第6日目 1999年8月6日(金)七台河・勃利
4:50  4:50、目が覚める。もう勃利だった。勃利も前回の旅行で訪れた場所なのでなつかしい地名だ。
 6:35、七台河着。七台河駅には、七台河市外事弁公室の邱主任・通訳の邵華さん(この二人には前回の旅行でもお世話になった)・周課長・謝副課長(ともに女性)の4人が出迎えに来てくれていた。七台河市が用意してくれたバスでホテル「金融大厦」へ。
 七台河駅の辺りは、七台河市の旧市になるので、中心街までは30分かかってホテルに到着(7:30)。
9:00  朝食を取って(7:40〜)、9:00までホテルで休息。3度目の車中泊の後なので、シャワーを浴びて着替えをしてさっぱりする。ホテルを出て(9:10)、まず桃山区の雪松中学校へ向かう。
 七台河市は、人口約83万人。戦前は勃利が勃利県の中心都市だったが、戦後は七台河市の発展に伴い、現在では勃利は七台河市の行政区域の中に含まれるようになった。
 青少年義勇軍の人たちも、当時は人家もまばらであった七台河市の発展に目をみはって信じられないを連発されていた。
 桃山区への道は、途中までは大茄子への道と同じだが、3年前に旅行の時は雨でひどい道だった。それがわずか3年の間に見違えるようにほとんどが舗装されていた。 
9:25  雪松中学校に到着(9:25)。校門を入ってびっくり、暑い中男子生徒達が旗を持って歓迎の列をつくって待っていてくれた。そして校舎の入り口では女生徒たちがバンド演奏で歓迎してくれた。バンドは打楽器だけで編成されていて、木管楽器や金管楽器はなかった。多分、木管楽器や金管楽器は高くて買えないためであろう。
 雪松中学校で、教育援助資金とサッカー・バレーボールの贈呈式を行う。まず生徒代表のあいさつがあったが、とてもしっかりした利発そうな女生徒で大きくきれいな声で、内容もとても立派なあいさつであった。
 中国側のメンバー紹介、桃山区長(区は市の下の行政区域)・副区長・教育局長(女性)・鎮長(区の下の行政区域)・校長(女性)の紹介があった。次いで校長のあいさつ。雪松中学校は、1985年の創設時は教師13名、4クラス、生徒数180名であったが、現在はそれぞれ68名、25クラス、819名となり、各方面で実績を上げているとの説明があった。
 日本側のメンバー紹介に続いて、山本副団長があいさつ。以後質疑応答。記念写真を撮った後、バンド演奏に送られながら学校を後にした(10:20)。
 桃山訓練所本部跡を見て、大茄子訓練所跡へ出発(10:30)。大茄子への道は、先に述べたように3年で見違えるように舗装されていた。
10:50  大茄子訓練所跡に到着(10:50)。3年前に訪れた井戸のあった空き地は養豚場になっていた。
 大茄子訓練所にいた青少年義勇軍が、そこから南へ移動して、無人になった所へ、4〜5日後に、北から逃げてきた開拓団の人々が入り、そこで悲劇が起きた。このことについては「中国東北地方の旅」の第5日のところを見てほしい。その井戸のほとりで慰霊式を行う。
 その後、村上中隊がいた所は、もっと先の方だとのことで、そこへ移動する(11:35)。
 大茄子訓練所跡を出発して、桃山公園へ行く。桃山の上に登ると、周りが一望できると言うことだったが、途中工事中のため上まで登れず、麓に引き返し、記念写真を撮って、桃山公園を出発して(12:15)、ホテルへ帰る(12:25)。
13:15  昼食の後、今度は勃利駅へ向かう(13:15)。勃利駅から牡丹江へ向かった青少年義勇軍に対するソ連航空機からの機銃掃射によって多くの隊員が亡くなった。その場所を探して勃利駅の裏に出て空き地で慰霊を行った(14:40)。
 勃利駅裏を出発し、ホテルへ帰り、少し早いが夕食(16:20)。
17:00  17:00、ホテルから七台河駅へ向かう。バスはプラットホームまで乗り入れ、ハルビン行き列車に乗り込む(17:30)。
 七台河駅を18:10の発車。勃利(19:30)、林口(21:10)を経て、牡丹江に到着(23:06)。新曼哈頓酒店に入る(23:35)。翌朝7時までぐっすり眠る。


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