| 第3日(延吉・図們) | |
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| 第3日目 1999年8月3日(火)延吉・図們 | |
| 4:20頃、目が覚める。周りは広大なとうもろこし畑が広がる農村の風景だった。しばらくしてかなり大きな町の駅に止まる。敦化だった(4:35)。敦化は人口約45万人、近くに渤海(698〜926)の都の遺跡がある町だ。敦化を過ぎると、山がちな所を走る。そこを越えると、また一面のとうもろこしと大豆の畑が広がっている。大石頭を通過(5:10)、駅名が漢字とハングルで併記されている。延辺朝鮮族自治州に入ってきたようだ。
7:25、延吉に到着。14時間にわたる列車の旅だった。現地ガイド、延吉旅行社の文さんの出迎えを受けてホテルへ(7:40)。緑源大厦で朝食を取り、部屋に入り、シャワーを浴びる。車中泊の後だけにありがたかった。 |
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| 国境の町、図們(ともん)へ向けて出発(9:50)。
延吉市は延辺朝鮮族自治州の州都で、人口は約24万人、そのうち朝鮮族は約60%を占める。町の標識はすべて漢字とハングルの併記。以前は龍井(りゅうせい、日本人が一番早く入った街)に州都が置かれていたが、現在は延吉が中心になっている。 町から郊外へ高速道路を走るが、途中から工事中のため悪路が続く。普通は1時間のところだが、1時間半かかり図們へ入る。図們は人口12万人の小さな国境の町で、ここも朝鮮族が約60%を占めている。 |
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| 図們江公園に着く(11:30)。目の前を図們江が流れている。予想していたより、川幅が狭く小さな河で水量も多くない。この河が中国と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)との国境になっている。ついに国境線まで来た。もちろん肉眼で対岸の北朝鮮の建物や人物まで見える。
記念写真の後、展望台に上る(もちろん有料)。図們大橋が真下に見える。橋の中央が国境になっていて、手前が中国、向こう側が北朝鮮になる。望遠鏡で覗くと、人々の様子もよく見える。男の人が向こう側から国境を越えてこちらに歩いてきた。展望台で日本からの少人数のツアーと一緒になる。聞くと、同じ倉敷市二日市の人であった。中国と北朝鮮の国境で、こんなこともあるのかと驚く。 我々のバスの近くに少年が数人。北朝鮮からやってきた少年達とのことだがよく分からない。西安・北京などの観光地では物乞いを多く見かけたが、東北地方の今までの旅では見かけなかった。少し心が暗くなる。 |
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| 図們江公園を出て(12:35)、近くの韓国料理店「図們考麗亜(コリア)韓食店」で昼食を取る(12:50〜13:45)。この店の名物の冷麺(15元)を食べる。前菜にキムチなど6〜7品が出てお腹がよくなったところへ、冷麺が出てきた。こんにゃくの様な黒い色をした腰の強い麺でボリュームがあった。韓食店を出発した頃から雨が降ってきた。 | |
| 延辺第一聾唖学校へ到着(15:00)。教育援助資金とサッカー・バレーボールの贈呈を行う。贈呈式のあと校内見学をさせていただいた。夏休み中で、多くの生徒が帰省していたので、男子生徒4名と女子生徒3名が式でボールを受け取り、最後まで見送ってくれた。 | |
| 学校を出発して(16:05)、延吉市の北西にあった旧陸軍病院の跡地に向かう。近くの、道路から少し離れた畑の中で慰霊式を行う(16:20)。この地でも元村上中隊の多くの隊員達が病死している。
その後、旧陸軍病院の跡に建てられた中国人民解放軍の二二三医院(数年前にこの病院は長春に移転し、今は使われてない)の敷地内を一周した。Tさんのお父さんはこの病院で亡くなられただろうとのことで、Tさんは草むらの中で線香を手向けて供養をされた。心中が察せられ、その姿を凝視出来なかった。 旧刑務所跡地を訪れた(17:25)。ここにも多くの青少年義勇軍の人たちがソ連の捕虜となって収容され、亡くなった。現在は延辺芸術劇場になっていた。そこで亡くなった人々を葬ったという山の方へ行く。今は民家が建ち並んでいた。夕食までの時間があるので、延吉賓館の近くの店や人民公園(旧大和神社があった所)(18:20)で時間をつぶす。 |
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| 夕食は芸林こう(火へんに考)肉店の焼き肉(19:00〜22:20)。昼食の冷麺であまりお腹が空いてなかったが、おいしいのでつい食べ過ぎてしまう。
延吉駅に着き(20:25)、いっぱいの人でごった返す待合室で待った後、延吉発21:15、長春行きの列車に乗り込む。22:00頃ベッドに |
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