| 第2日 | |
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| 第2日目 1998年12月9日(水) | |
| 6:00頃起床。ホテルのレストランでバイキングの
朝食(7:30〜8:10)。レストランを出たところで張さんの息子さんにお会いする。今日は張さんと
李さんが同行してくださり、張さんの息子さんの車(7人乗り)で独立記念館と民俗村を見学することに
なっている。今朝の最低気温は−4度位だったそうだが、思ったほど寒くない。
8:30にホテルを出発。朝の通勤時間帯で、ソウルの朝・夕のラッシュ時の交通渋滞は大変だと 聞いていたが、途中ソウル駅(東京駅を模してつくられている)を通り、比較的スムーズに市内を 抜けて高速道路にはいる。高速道路は4車線あるが朝・夕のラッシュ時には渋滞でなかなか進まない らしい。料金は日本に比べるととても安いよう。 韓国の自動車の価格は、日本円に直して40万円・60万円・180万円(2000ccクラス)、 ガソリン代は1150W(日本円で115円位)だそうだ。 9:30頃水原(スウォン)市付近を通過。途中でドライブインに立ち寄る。一度韓国のうどんを 味わってみたかったので食べてみたが、正直なところあまりおいしくはなかった。1杯2000Wだった。 |
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| 10:30頃、天安市の独立記念館
(トンニプキニヨムグァン)に到着。天安市は三・一運動の際、大きな役割を果たした柳寛順
(ユグァンスン)−当時梨花学堂中等科一年生(15歳)、日本の憲兵に捕らえられ拷問によって
獄中死する、東洋のジャンヌ・ダルクと呼ばれる−の生まれ故郷である。とにかく広いというのが
第一印象であった。天気は快晴でまさに雲一つない真っ青な空にそびえ立つ民族の塔も強く印象に
残っている。
独立記念館は、日本の教科書問題で日韓両国の関係が悪化した全斗煥(チョンドファン) 大統領の時代に、全国から募金を募り、わずか3年間で作り上げ、1987年に完成させた。400万平方 メートルという広大な敷地に第1展示館から第7展示館が建てられている。入場門から第1展示館まで もかなりの距離がある。じっくり見ていくと半日以上は十分かかるそうだが、以後の日程のこともあり、 2時間で近代史に重点をおいて見ることにした。 旧石器時代からの展示があるが、古いところはどんどん見ていった。古いところで特に印象に 残っているものは、広開土王(好太王)碑の模型、やはり高麗青磁、そして李舜臣の亀甲船の大きな 模型などである。近代に入ると甲午農民戦争(東学農民運動)、閔妃事件(高宗の妃、1895年に日本に よって暗殺された)、義兵運動(1905年以来の朝鮮民衆の反日武装闘争)の様子を再現した模型、 安重根(初代統監の伊藤博文をハルビンで暗殺した人物)の獄中での書などが印象に残っている。 第3展示館が日帝侵略館となっていて、日本による苛酷な植民地支配の実態が写真・資料・模型等で 展示されている。日本の警察による拷問のシーンは目をそむけたくなるひどいものであった。 私たちとほぼ同じ頃に100名ほどの20歳位の韓国兵が教育の一環として見学に入館してきた。 彼らは熱心に展示を見ていたが、韓国の学生・高校生は教科書で、そしてこの独立記念館などで日本の 植民地時代のことをきちんと学習していると思う。それに対して日本では日本が朝鮮に対して行って きた植民地支配のことをほとんど勉強してない、知らない生徒・学生が多いように思われる。 私たち教師の責任でもあるが、ここに日韓の意識に大きなずれが生じる原因の一つがあるように思う。 1919年の三・一運動に活躍した人々の大きな群像彫刻も圧巻だった。不勉強でよく知らなかった 中国・特に旧満州での抗日闘争についても詳しい展示があったが、時間がなくなってきたので独立後、 そして朝鮮戦争関係の展示はさっと見て終わった。 以前読んだ新潮文庫の片野次雄著「李朝崩壊」(著者自身が歴史ノンフィクション・ノベルの 手法で書いたと言われているが、読みやすいので近代朝鮮史を知る上でぜひ読んでみてほしい作品) のあとがきに「本書を纏め終わってから私は独立記念館に出掛けた。すでに数回目になる。そこは 広大な敷地の中に建つ壮大な歴史記念館である。とくに日本の植民地時代の記録がなまなましい。 そして幾度行っても息苦しいまでに多くのことを語りかけてくる。それは、わたしの著作などとは とても比べものにならない。わたしはそこで、日本人ならせめて一度はここに赴き、展示物を直視し、 歴史を再認識すべきではないかと思った。韓国人の心がここに凝縮していると考えたからである。 さらには将来の日韓関係の原点が、ここに充満していると痛感したからにほかならない。」と述べて いるが、まさにそのことを実感した2時間であった。独立記念館を出発(12:30)。水原市郊外の韓国民俗村へ向かう。 |
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| 民俗村の手前のレストランで昼食(13:30〜
14:20)。代表的な韓国料理の一つであるカルビクイをご馳走になる。骨についたままの肉をはさみで
切って焼く。最後の骨についた部分(すじ?)が特に美味で、骨についた肉を食べる格好から
カルビクイを食べに行くことを、「ハーモニカを吹きに行こう」と言うそうだ。焼き上がった肉を
サニーレタスに包んで食べる。とにかくおいしい。おなかいっぱい食べさせてもらった。悪い癖
だがつい値段が知りたくなる。15000W(1500円)ほどだそうだ。
昨日から韓国料理はとてもヘルシーな料理だということ、そして韓国料理はキムチに始まり キムチに終わるということ、そしてキムチはとても健康に良い食品であり、本当に色々の種類があると いうことも勉強した。 |
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| 14:30頃、水原の近郊、京畿道龍仁市にある
韓国民俗村(ミンソクチョン)に到着。
ここも広大な敷地に全国各地から270軒あまりの家が集められている。しかも単に家や家具・ 生活用品を展示しているだけでなく、暮らしぶりの実演が各所で行われている。入り口で民族衣装を 身につけたアガシ(韓国語で若い女性の意)に出会ったのでさっそく記念写真を撮らせてもらう。 中へ入り、少し進むと各地の農家がある。昔、中学校で習った地理では韓国というとオンドルだった。 もちろんこの農家にもオンドルがあった。印象に残っている建物というと南部地方の大きな屋敷、 地方の官庁の建物とその中にあった牢獄、そして両班(ヤンバン)の屋敷、説明書には99間のヤンバン 屋敷とある、とにかく大きい。両班(ヤンバン)は高麗に始まり李朝で確立した政治的・社会的特権 身分階級(貴族)で文班と武班の併称である。上層のヤンバンは大地主・高級官僚で多くの特権を 持ち、官職を独占した。党争を繰り返し、儒教と相まって李朝の社会の発展を阻害した。 官庁の建物を見学中に鉦と太鼓の音が聞こえてきたが、高校生くらいの若い男子の行列が進んで いく。ついていくと 民俗村のほぼ中央にある公演場で農楽が始まった。豊作を祝う踊りのようだが、 頭に着けたリボンを巧にくるくる回しながら踊る。曲の終わりには人間も横に回転するようにくるくる 回る。見事な演技に拍手が起こった。 村の奥に進むと市場(シジャン)があり、食事ができる。これを食べないと民俗村に来たことに ならないとのことで、ドンドン(トントン)酒(薬酒)でチジミ(お好み焼きのようなもの)を食べる (15:30頃)。さっき昼食を取ったばかりだが、おいしくてつい箸がでる。ドンドン酒もかなり飲んで いい気分になる。また値段だがお酒が5000Wとチジミが6500Wとのこと。ちょっとゆっくりしたので 時間がなくなり、あとは早足で見て回る。 |
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| 16:10民俗村を出発してソウルへ戻る。帰りも
渋滞に巻き込まれることなく、比較的順調に市内へ入る。少し時間があるので北岳山からソウルの
夜景を見せてもらえることになり、山道を登って行く。ここからの夜景はすばらしいですよと言われ、
自動車から降りて夜景を眺めようとすると、小銃を持った兵士がやってきて、ここは通行はできるが
下車することは禁止されている。すぐ自動車に乗るようにとの命令で残念ながらすばらしい夜景を
ゆっくり見ることはできなかった(17:30頃)。昨日バスで大統領官邸付近を通ったときも、数10メートル
おきに兵士が小銃を持って警護に当たっており、しかも写真撮影は禁止とのことだった。朝鮮民主主義
人民共和国のスパイ潜入のニュースが入ってくるが、この厳重な警戒ぶりを目にしてここは朝鮮だとの
思いを強くした。
市内に戻り、仁寺洞(インサドン)通りで下車。今日一日、私たちのために運転をしてくださった 張さんの息子さんに厚くお礼を言ってお別れする。仁寺洞通りは骨董や陶磁器の店がずらっと並んで いる。人通りもすごい。 |
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| 夕食の店「李朝」(正統王朝料理の店とある) に18:00に入る。プルコギ、カルビチム、豚足を中心とした料理をご馳走になる。20000W位とのこと。 夕食には申(シン)さんも見えた。おいしそうなご馳走だが、昼食(14:00頃)と民俗村でも食べている (15:30頃)ので、さすがの私も本当にお腹いっぱい。20:00頃食事を終わり、タクシーでホテルへ帰る。 昨日同様サウナに入り、部屋でマッサージを頼む。40分ほどで33000W。数日前から肩が凝っていた のでよく効いた。21:00頃就寝。ぐっすり眠る。 | |