日韓交流の旅

第1日
第1日目 1998年12月8日(火)
6:00 以前から一度訪れてみたかった韓国、今回青木先生の 日韓交流の旅に同行させていただくという形で実現した。
 青木先生は県立玉野光南高校に在職中の1989年以来、社会問題研究部の顧問として生徒とともに 玉野市について調査・研究をされる中で、三井造船秘密地下軍事工場の問題を取り上げて調査・研究を されてきた。そしてこの工場を掘ったのが、当時の「協和隊」と呼ばれていた韓国・朝鮮人であった こと、彼らは「朝鮮総督府令による特別年齢徴用」によって強制徴用された当時21〜22歳の若い人々で あったことをつきとめた。そして「協和隊」について研究される中から、当時の協和隊の副官であった 「松原豊成」さんが禹奎鎬(ウキュホ)氏であることを、韓国の新聞社やその記事を読んで手紙を寄せ られた人々の協力の下に大変な苦労の末につきとめられた。青木先生は翌年の1990年に訪韓され禹奎鎬 氏ら4人の元協和隊副官の人から証言を聞き出し、さらに研究を深められていった。
 この研究については「史実になれなかった真実−協和隊45年目の証言」という冊子にまとめら れているが、青木先生のホームページの中の 「少年達も強制連行された」にもその一部が記載されているので参照していただきたい。
 その後、青木先生は十数回にわたって韓国を訪れ、「甲申同志会」(元の協和隊の人々がつくって いる会)の方々と交流を深められてきた。今回もその一環として計画された旅に私のような全く縁も 関わりもないものが同行させてもらってよいのだろうかという気持ちもあったが、青木先生の厚意に 甘えて参加させていただき、初めての韓国旅行が実現した。
 7時に家を出る。8時30分の集合だったが50分も前に岡山空港に到着する。
 空港への道が混雑していたとのことで、集合時間に5分遅れて青木先生来られる。先生から 同行者の清村さん(当時、三井造船の本部役員で協和隊の方々を親身になってお世話された清村氏の 奥様、今回の訪韓に際して当時の貴重な写真を持参された)と梅沢さん(生協で行われている青木先生 の歴史講座のお世話をされるとともに聴講されている)を紹介される。青木先生はおみやげとともに 大きな荷物を持っておられる。李(イ)氏に頼まれたエプソンのプリンター、二日前に発売された ばかりだが韓国での発売は数ヶ月後になるし、値段的にも日本の方が安いとのことで依頼されたとのこと。
 今回の旅行はJTB岡山が募集した「ソウル自由自在3日間」を利用している。往復の航空運賃 と2泊のホテル代込みで2万5千円という信じられないほどの安いツァーになっている。18人のグループ だったが、私たち4名は第1日目の途中までを除いて全くの別行動をとった。JTBの説明、搭乗手続き ・出国手続きのあと免税店でマイルドセブン1カートンを買う。12月から2500円に値上がりしたばかり だが1500円で買える。9時40分搭乗、大韓航空726便、定員は約300人ほどだがほぼ満席、席は最後尾で 窓際に座らせてもらったが尾翼に隠れて外は全く見えず残念。10時5分離陸。
11:30 11時30分、金浦国際空港に着陸。リムジンバスで移動。
 外気が冷たい。気温は1度位。今回の旅行前、インターネットでソウルの天気をみると 最初は雪の予想だった。直前の予想では晴れになっていたが9日の最低気温はー10度と なっていたので防寒対策に悩んだが、結局日本の1月頃の服装で来た。寒さが心配だ。
 空港には大韓旅行社の現地ガイド、張君式さんが来られていた。入国手続きを済ませ 空港内の銀行で両替。1ドル=119円位でひと頃に比べるとやや円高になってきたことと、ウォンの切り 下げもあって、2万円が197082ウォン、これだと0を1つ取ればよいので円との換算がやりやすい。
 空港の外にでると、張聖圭(チャンソンギュ)氏と李舜善(イスンソン)氏が出迎えに来られて いて懐かしそうに挨拶を交わされていた。お二人は私たち初対面の3人をも旧知の友のように温かく 迎えてくださった。
 お二人と別れ、私たちはツアーの一行とともにバスに乗り込む(12:20)。第1日目の午後は案内に よるとソウル市内観光となっている。楽しみである。金浦空港から一路ソウル市内へ。
<張君式さんのガイドより>
 大韓民国 国土面積は約9.9万平方キロ、人口は約4500万人でこのうち約1100万人が首都ソウルに集中 している。
 韓国の交通機関について 国際空港は金浦空港、金海空港(釜山)、済州空港、大邱空港、光州空港の5つ。
 韓国は左側通行になっている、ソウル市内は交通渋滞が激しい、乗用車の95%は韓国製であるなど。
 ソウル市内を動くには地下鉄がよい、料金は450W(ウォン)(日本円45円位)。
 タクシーには模範タクシー(赤の表示)、会社タクシー(青)、個人タクシー(白)の3種がある。 一般タクシーで初乗り1300W。バスは市内同一料金で500Wとのこと。
 その他にもいろいろ案内があったが、当然のことながらハングルがあふれている車外の風景を 一生懸命見ていたためあまり覚えていない。広告を初めとする各種の表示はハングル90%、漢字10%の感じ。
 20分ほど走っただろうか。高層ビルが林立する市街を走るバスの目前に大きな河が見えてきた。 ソウルにとって母なる河である漢江(ハンガン)だ。ソウルは漢江の北の旧市内を中心に発展を遂げて きた。漢江の南、江南(カンナム)地区はソウルのベッドタウンとして発展し、特に1899年のソウル・ オリンピックのメインスタジアムが江南の松坡区に建設されて以来急速に発展し、現在はソウル市人口の 半数以上が江南に住んでいる。
 漢江を渡り旧市街へと入っていく。ガイドの張さんは色々と案内してくれるが、ソウルが初めての 私にはよく分からない。印象に残っている所は延世大学、梨花女子大学、南大門市場の近くの商店街の 様子、李舜臣(豊臣秀吉の朝鮮侵略、韓国では壬辰倭乱(イムジンウエラン)の際、水軍(海軍)の 将として亀甲船を率いて日本軍を破った人物で救国の英雄として人気がある)の銅像、光化門(景福宮の 正門)、そして大統領官邸の周辺の軍による厳しい警戒ぶりなどである。
 そしてバスが着いたところはロッテ・デパート、その10階にある免税店にと案内された。ご婦人 達、若い女性達の目が輝いてくるが、私には全く縁のないchanel,Christian Dior,Gucciなどの店が ずらっと並んでいる。しばらくぶらぶらしたが退屈で仕方ない。そこへ買い物が済んだ青木先生が 帰ってこられたので、先生に案内してもらって地下の食品売場を見学に行った。肉類をはじめとして 日本よりはるかに安い。飲み物コーナーでオレンジジュースを飲む。1杯3000W(300円)。
 今回のツアーの予定表では第1日目の午後はソウル市内の観光とあったので景福宮などが見学 できると期待していたのだが、ガイドさんに尋ねると「バスの中から市内見学と書いてあったでしょう」 とのこと、がっかり。
 ロッテ・デパートを出ると今度は新羅(シルラ)ホテルの免税店へ直行。ここも縁のないもの ばかり、民芸品のコーナーでコースターを15000Wで買う。あとは外へでてシルラ・ホテルの立派な 迎賓館を見たり、写真を撮って時間を過ごす。さすがに外は寒い。
 やっと免税店から解放されて、バスに乗り込み(16:00)ホテルへ。
16:30 豊田(プンジョン)ホテルへ到着。外観はそうでも ないが、中は最近改装されたそうで立派、設備も充実していた。部屋の案内書で見ると1泊110000W とのこと。
 部屋に荷物をおいて、青木先生の案内でホテルの周辺を散策。この辺りは印刷関係の中小の工場 ・商店が非常に多く印刷の町の印象。17:00頃ホテルへ帰る。
 ホテルには朝空港でお会いした張聖圭(チャンソンギュ)氏が来られていた。コーヒーを飲み ながらお話を聞く。50年以上前に覚えた日本語とは思えないほど達者なのでその理由を伺うと、 NHKの衛星放送をほとんど毎日見ておられるとのことで、最近の日本のニュースについても実に よくご存じであった。しばらくして李舜善(イスンソン)氏が来られる。李さんは青木先生に依頼して 買ってきてもらったプリンターに関税が掛からなかったかと気にされていた。パソコンにはとても 詳しいよう。電子メールでやりとりが出来ればよいなどと話が弾んだ。
17:45 お二人の案内で歓迎夕食会の会場である 「大林亭」へ向かう。どこをどう通ったかは全く分からないが18:00頃会場に着く。すでに「甲申同志会」 (前述した協和隊の副官を勤めた方々を中心に作られた会で、定期的に集まって親交を暖められている とのこと)の方々が6名集まっておられた。皆さんは青木先生との再会を心から喜んで親しく挨拶を 交わされるともに、私たち初対面の同行者をも歓迎してくださった。
 テーブルの上には、初めてみる韓国料理が所狭しと並べられていた。最初に会長の崔鐘曄 (チェジョンヨプ)氏が歓迎の挨拶を述べられた。「本日は12月8日、太平洋戦争が始まった日である。 このような日に青木先生一行が訪韓され、このような会を開くことはとても意義深い。青木先生の 今日までの研究・日韓交流を高く評価し、その熱意と努力に敬意を表する。日本政府の戦争責任に 対する対応には不満がある。今後、真の日韓交流をはからねばならない。」という趣旨の挨拶であった。
 お互いにメンバーの紹介のあと懇親会が始まった。最初は緊張していたが、和やかな会の雰囲気の 中に徐々にうち解けることが出来た。青木先生が日本から持参された清村さん所蔵の写真を披露される と皆さんはとても懐かしそうに見られていた。青木先生が禹さんに清村さんの写真を見せて「誰か 分かりますか」というと、「もちろん分かります。お世話になった清村さんです」との返事。 先生が「禹さん、清村さんの奥さんがこられていますよ」というと、禹さんは最初の紹介では気づかれて いなかったようで、とても驚き、清村さんに挨拶されたが、すぐには言葉もでない様子であった。 私はもっぱら聞き手で皆さんの思い出話に聞き入っていた。途中から趙(チョン)氏が見えられ 甲申同志会の方々は9名になられた。梁(ヤン)氏が隣に来られ、数年前にお一人で玉野に来られた時の お話を聞いた。もう一度ぜひ宇野(玉野市内、協和隊の寮のあったところ)を訪れたいとの言葉には 正直なところ驚いた。強制連行されてつらい思いをされたであろうが、やはり若い時を過ごした 場所をもう一度確認したいというお気持ちだろうか。
 韓国料理のマナーについて一言。箸でご飯を食べない、スプーンで食べる。茶碗・碗を手に 持たない。茶碗を持って、おかずをご飯の上にのせて、箸で食べる。これが最低の食事作法ということである。 そしてご馳走は全部食べないで残すことなど日本とはかなり違う。
 最後に全員で記念写真を撮り、再会を約して閉会となった。4〜5名の方にホテルまで 送っていただき21:00過ぎにホテルに着く。部屋にはもちろんバスがあるが、ゆったりとお湯に つかりたいということで、ホテルのサウナへ行く。1人6000W。すっきりして部屋に帰り、 ビールを飲んでいると、ドアがノックされた。梁(ヤン)氏であった。 会が終わって1時間以上経つが、どうしても青木先生にもう一度会いたくてホテルを探して 来られたとのこと。11時頃までおられた。長い1日もかくして終わり11:30頃就寝。


目次へ戻る
次へ