| 第5日(七台河〜宝清) | |
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| 第5日目 8月7日(水)七台河〜宝清 | |
| 目が覚める、熱も幸い下がって いるよう。青木先生が調子を聞きにきてくれる。昨夜、まったく気づかなかったが、 O君が七台河の病院に入院し、点滴をうっているが、午後からは同行できそうとのこと | |
| 朝食 パンを1切れ食べる。
雨、昨夜からかなり降ったようだ。今も小雨が降っている。 涼しいというより少し寒い感じ。今朝は七台河人民政府を訪問するので上着を 着る。ホテル出発(7:45) |
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| 七台河市人民政府を表敬訪問
七台河市側 張 弛 市長、外事局主任ほか2名が出席された。 張 弛 市長(49才)のあいさつ 「七台河市はジャムス(佳木斯)と牡丹江の間に位置して、面積6212平方 キロメートルで人口は82万人、耕地面積は160万平方キロメートルで7億人(?)分の 食料を生産している。13の民族が住んでいる。七台河市は石炭の町として有名である。 埋蔵量多く、炭質が良く、外国から商談の引き合いも多い。1958年から掘り始め、 年間1600万tを産出する。農業も盛んである。稲、とうもろこし、てんさい、こうりゃん、 葉たばこの生産が多い。特に稲作が盛んである。山の幸も多い。近くの大きなダム 建設は外国とのプロジェクトで行われた。大豆加工も盛ん。活性炭、コークスの 輸出も盛んである。市は現在、道路の舗装や空港建設に力を入れている。 また七台河市は友好都市を求めている。”友あり、遠方より来たるあり、また 楽しからずや”という言葉がある。心より歓迎します。」 団長あいさつ。教育資金贈呈、バレーボール、サッカーボールを贈る。すいかの もてなしをうける。 |
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| 退出、外は激しい雨であったが、
市の職員が傘を用意、バスまで送ってくれる。
かなりの雨が降り続き、七台河市の中心を抜けると大茄子までの道路は未舗装で ひどい道、道路は所によっては川のよう、すごいぬかるみ。とにかく排水が悪いのが原因、 道路の左右に側溝があるが、整備されてないので、雨水がほとんど道にあふれ 出ているのだ。道路の至る所がえぐられている。とにかくひどい。 |
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| 大茄子訓練所跡に到着
かって満蒙開拓青少年義勇隊の訓練所があった所 Nさん、Tさんも50年前と変わってしまった付近の様子にとまどっている 様子、雨が強く降ったり、弱まったりしながらも依然として降り続いている。 訓練所跡と思われるところは鍵が掛かっていて入れない。中に男の人と 子供がいるのだが、とにかく鍵が掛かっていて入れない。 七台河市人民政府の外事局の職員の方がずぶ濡れになりながらいろいろと 努力してくれる。すぐ近くの古い建物の側に井戸があり、そこに花を供えて 帰ろうとした時、鍵を管理している人が帰って来て、鍵が開き、中に入れる。 井戸があった。51年前の8月17日、ソ連軍によってここに収容された60名の 婦女子がソ連兵の”女狩り”を恐れ、絶望して、わが子を手にかけ、この 井戸に飛びこむなどして集団自決した。井戸は深かった。 青木先生が犠牲となった33人の名を読み上げた。我々は花を供え、 手を合わせ、黙祷を捧げた。 母親の手にかかって亡くなった子供17名、自決した女性9名、言葉に表す ことの出来ない痛ましい出来事だ。 |
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| 大茄子訓練所跡を出発、
万竜開拓団跡へ
Sさん さかんに道が違うようだ。行過ぎだと気をもむ。 竜江村(万竜を改め)に到着(11:00)。 石碑があり、開拓団があったことが 書かれている。さらに進みむと、行止りになる。Sさんは場所が違うと言う。 道が通れないこともあり、迂回する。 元の場所に出る(11:20)。前の場所で良かったみたい。Sさんは5年前に 来たのと違う道を来たので、場所の特定が出来なかったみたい。今度は間違いないらしい。 万竜開拓団跡地 1945年8月16日〜17日、Kさんら大主開拓団の人たちは無人の万竜開拓団跡に 入り、再び逃避行を始めたとき反満抗日軍の攻撃を受け、数名が死亡した。翌日、 南に向けて出発してまもなく、今度はソ連軍の攻撃を受けて約20名の死者が出た。 Sさんのお父さんもこのとき亡くなった。Sさんは昨夜、明日は亡くなった父に 好きだったお酒を持って行くとかばんの中に大切そうにしまわれていた。 青木先生がこの地で亡くなられた18名の大主開拓団の戦死者の名を読み上げた。 SさんとKさん等が花を供え、我々は手を合わせ、黙祷を捧げた。 ずっと同室であったSさんの胸中を思うと、何ともいえない気持ちになる。 もう”これが最後だから”と言う言葉はこの4日間に何回か聞いた。 今、目の前に広がっているこの土地で、50年前に悲劇があったとは 信じられないような平和そのものの地であった。 |
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| 再び七台河市へ戻る
街に近づくにつれ道が悪くなる。まるで川、池の中を行くよう。中国の 人々が気の毒になるようなひどい道。ホテル着(12:45) |
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| 昼食 スープ、野菜などを
少し食べる。
今朝から1人の女性がホテルに来ていて、Mさん達と話しをしていた。 長野県の残留婦人の子供さん(七台河市の銀行員)でお母さんは亡くなったが、 日本に移住したいので援助してほしいということで、我々の訪中を知って訪ねて こられたとのこと。我々に扇子のおみやげまで用意されていた。 Mさん、青木先生で対応され、帰国後、長野県の日中友好協会に連絡をとると いう結論になった。 |
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| ホテル出発。午前中入院していたO君合流
給油 ガソリン 1リットル3元 雨 本降り、悪路、町に近いところが悪い。集落のないがたがた道の方がまだまし。速度 30km出てない感じ 宝清まであと121km(15:00)、北興農場通過(15:45)、紅衛通過(16:40) 空が晴れてくる。しばらく行くと道路不通、大きく迂回 後続の車が来ない(17:50)。やっと後続車が追いつく(18:10)。トラックと 接触事故を起こしたとのこと また道路が不通(19:00頃?)、幸い宝清県の外事公弁室の職員が道路不通を 知り、心配して我々の車が来るのを待っていてくれた。大きく迂回、しかも かなり後もどりしながら。すでに予定時間を大幅に上回っている。後部座席の 大学生たち歌を歌って雰囲気を明るくしようとしてくれる。 やっと宝清に到着(21:10)。順調に行けば4時間位のところを7時間かかった。 |
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| 宝清県人民政府と公式会見
こんなに遅くなるまで県長以下人民政府の職員の人たちは、我々を心配して 待っていて下さった。 宝清県人民政府側出席者 李 春秋 県長、廉 徳録 外事公弁室副主任、 周 維強 外事公弁室 他 李 春秋 県長あいさつ 「1回あれば、2回ある。ぜひまた来て下さい。宝清県は河の合流地点にあり、 市場が盛んである。人民生活も向上している。 宝清県は人口42万人、17郷と206鎮(村)を擁し、資源に富んでいる。 資源としては食料と魚、特に森林資源に富んでいる。木材は100万立方メートルもあり、 10万立方メートルの生産量が100年間維持できる。石炭も70億tの埋蔵量があり、 良質である。金、大理石もある。さらにわらび、朝鮮人参、鹿の角もとれる。 耕地面積は400万ムー(660万u)で大豆、小麦、とうもろこし、あずき、 米、ひまわりなどが生産されている。特にあずきは日本から買い付けにくる。 日本に帰られたらぜひ宝清県を紹介してほしい。日中友好を進めて行こう。 どうか宝清を楽しんで下さい。」 団長あいさつ、教育資金贈呈、おみやげの交換 宝清県からおみやげとして1人に2本ずつの宝清老酒をいただいた。 |
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| 夕食
宝清県の県長以下職員の人たちと一緒に W氏、団長が乾杯に行く、李県長の返杯 中国では乾杯は飲み干すのが礼儀、アルコール度40度もある老酒を飲み干す ことは私には出来ないが。 お腹のほうだいぶ良くなったみたいなので、やや控えめにしながらも食べる。 |
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| 部屋に入り、入浴 (昨夜は入らず)。青木先生が部屋の湯が出ないとのことで我々の部屋に来る。 私たちはいつもついている。 | |
| 就寝。下痢のほうは 午後の7時間のバスでも大丈夫だったし、もう心配なさそう。 | |