中国東北地方の旅

第4日(方正〜勃利・七台河)
第4日目 8月6日(火)方正〜勃利・七台河
5:50起床 曇り時々晴
7:00朝食
メニュー おかゆ、饅頭2種、菓子パン2種、とうふととうがらし、 ピーマン炒め、焼きにんにく、なすときゅうり、こんぶの線切り
朝はかなり涼しい、やはり北海道の北かサハリン南部と同緯度であることを実感 道行く人は、長袖・上衣・コートを着用している。
昨日までと変わって、曇り、今にも降りそうな空模様だ。
7:35出発
町中の舗装道路はすぐに終わり、がたがた道を行く。あちこちで故障車を見かける。 哈爾濱から方正までは約180km、タクシーで7000円程とのこと。方正の郊外はいちめんの 水田。得莫利通過(8:15) 山道に入る。大羅密通過(8:45)、この辺りには朝鮮人の村が 多いそうだ。沙河子通過(9:40)、依然として山道を行く。
依蘭の町(この辺りでは大きな町)が見えてきたが(10:30)、依蘭の郊外を 通って南下する。道台橋を通過(11:35)。永順通過(12:15)。大四站通過(12:55)、 目的地の勃利に近づく。
13:20やっと勃利(「大地の子」で おなじみの地名)に到着
13:45昼食
メニュー かにのスープ、肉とはるさめの炒め物、水ぎょうざ、松花江の鯉の 煮物、なすとじゃがいもの炒め物、えびときくらげ、きゅうりとにんじん、 豚肉としいたけの炒め物、フルーツ(うりの砂糖かけ)等
出発(14:30)、出発前にトイレへ
14:40勃利収容所跡に到着
かっての勃利収容所は現在は勃利県公安局拘留所に変わっていた。
Kさんが逃避行の途中ソ連軍に捕まり収容された場所であり、しかも長男 (10ヶ月)を発熱、下痢、栄養失調で失った地である。
Kさんは日本から位牌を持ってこられ、拘留所の隣の塀で囲まれた空き地の なかに、位牌をおき、花を供え、線香を焚き、1年遅れの50回忌をなされた。 一緒に手を合わせたが、一心に拝まれるKさんの背中を正視することは出来なかった。
周りには多くの勃利の人たちが集まってきたが、当然のことながらその表情は 厳しかった。
15:20七台河市外事局の車の先導で佐渡開拓団跡地へ
佐渡開拓団跡地に到着(16:00)
佐渡開拓団跡は逃避行中の最大の悲劇が起こった場所として知られている。 「大地の子」にも書かれているが、敗戦後の8月23日〜24日、敗戦を知らすビラを まいていたソ連の偵察機に発砲し、不時着した偵察機を焼き払った。さらに 降伏を勧告にきたソ連兵を1人殺し、装甲車を焼き払った。この事件の報復として、 8月27日、開拓団を包囲したソ連軍が大砲、機関銃で攻撃し、ソ連の攻撃によって 1100人が死亡し、400人が自決するという悲劇が起こった。佐渡開拓団には 200〜300人いたが、かれらは別の場所に逃避行中で、悲劇にあったのは、 もっと奥地から避難してきた他の開拓団の人たちであった。佐渡開拓団跡事件に ついては青木先生より説明があった。
今は、一面とうもろこし畑で、50年前の悲劇を物語るものは何もなく、 近くの広場では土地の人たちが小麦の脱穀をしていた。16:20 開拓団跡を出発
16:55七台河市 金融大厦に 到着(予定では七台河山湖賓館であったが変更)
18:30夕食(メニューを書く 元気なし)昼から下痢が続いているのでスープ等のみにする。
20:00翌朝6:00までとにかく寝る。 持参した長袖など着こんでベッドに入ったが寒気がする。熱も出ているようだ。 寒気が止まないので、部屋の中を捜し、やっと掛け布団を見つけだし、2枚かける。 これで寒気は何とかなったが、熱が上がっているよう、38度位か?タオルを 出し、水で冷やし、幸い哈爾濱以来水道の水は冷たい、額に当てる。途中3回程 替える。朝4時頃、下痢のため目が覚める。しかし、それ以外はよく眠った。
今回の旅行ではとにかく生水は飲まぬように気をつけてきた。ミネラル・ ウオーターも飲んでいない。やはり少し疲れているのか、胃腸がやや弱っている ところへ油っこい食事が続いたことが原因か。


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