| 第2日 (ハルビン) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| 第2日目 8月4日(日)ハルビン | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 瀋陽着 さすが大都市(662万人)、駅も立派 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 目が覚める(4:20)。瀋陽を
出てまもなく眠ったよう。景色が一変していた。見渡すかぎりの、一面の
とうもろこし畑
長春着(4:35) ここも吉林省第1の都市(658万人)で、省都。駅も立派 牡丹江行きの列車が走り出した。16両編成(硬臥車 6両、餐車 1両、 硬座車 8両、行李車 1両)、我々の列車の乗務員もそうだが、鉄道員に とにかく女性が多い。 |
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| 太陽が昇る。
周りの景色は、ビニール・ハウスが見えたと思ったら、少し行くと一面の 水田、しばらく行くと今度は一面のとうもろこし畑と刻々と変わる。 こうりゃん畑、ひまわり畑も見えるが余り多くない。昔、習った地理では 中国東北地方=こうりゃんのイメージがあったので以外であった。 <Sさんの話>とうもろこしは粉にして、ペーピン(せんべいに近いものか?) にして食べる。列車からも、よく見かける樹木があった。ドロの木と 呼んでいた。ドロ柳=白柳(ポプラに似た木)、街路樹に多く使われている。 三日目からは絶えず目にすることになる。戦前の満洲では家を建てるには、 土と羊草(ヤンソウ)を混ぜて、こねて乾かし、石炭で焼いて、積み上げて 造ったとのこと。
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| 食堂車で朝食 おかゆ、饅頭(2こずつ)、キクラゲ、 隠元豆炒め、煎り卵、ザーサイ。ハエの多いのに閉口する。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 哈爾濱駅 2番ホームに到着。
伊藤博文が暗殺されたのは1番ホーム ホーム大混雑、こんなに多くの人が乗っていたのかと驚くほどの すごい人、改札は厳重。やっと駅前に出る。 駅前の広場でおばあさんから時刻表を買う、5元、後から見ると 黒竜江省関係だけで、運賃等も載っておらず、失敗 |
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| バスでホテルへ
左 暁冬 さん(哈爾濱の現地ガイド) <左さんのガイド> 哈爾濱 人口400万人(1994年は531万人) 哈爾濱の歴史は900年前にさかのぼれる。12世紀初めに勃興した金の太祖 完顔阿骨打が最初の都城をすぐ東方の阿城県に置いた。 哈爾濱駅は建物が3回変わった、ロシア時代、ソ連邦時代、文化大革命、 1989年に新駅になった。 哈爾濱工科大学の前を通過。この大学は76年の歴史を持つ、最初は ロシアが鉄道技師養成のために創った。 このところ哈爾濱、黒竜江省は雨の日が多く、各地で洪水も起きている。方正県 への道も最悪とのこと。橋が壊れているのでバスは無理になった。今日、明日は 晴れるが明後日は雨だろうとのこと。気温は28度〜17度。 中央大街を通る。中央大街はかってはキタイスカヤと呼ばれた。 中国人街の意 兆麟公園 氷の祭典の中心会場になる。 |
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| 松花江凱莱商務酒店
(哈爾濱凱莱大酒店)に到着、昨年3月に出来たばかりで、新しくきれいな
ホテル。
414号室 Sさんと同室、シャワーをあびて、荷物の整理 テレビでは オリンピックを放送している。 |
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| ホテルを出発
<左さんのガイド>ホテルのすぐ側がスターリン公園、1957年の大洪水と 闘った市民を讃えた記念塔がたっている。堤防を築き公園とした。 哈爾濱友誼宮 中ソ友好のとき、ソ連の技術者が宿泊、現在は迎賓館 友誼路を通る。ここでも建設ラッシュ、5つ星のホテルの建設現場とのこと。 |
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| 松花江公路大橋
橋から松花江を見る。大きな河だ(中国で5番目)、水は茶色に濁っている。 市民が大勢泳いでいる。水着もカラフル。橋の下では民族衣装を着た人たちが 踊っていた。 |
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| 出発
<左さんのガイド> 哈爾濱の市民は短い夏を楽しむため松花江で遊ぶ。 夏は34〜35度にもなるが、冬は長く、−34〜35度まで下がる。 松花江は1840km、中国で5番目に長い河、北朝鮮国境に近い長白山の天池から 流れでて、アムール河に合流し、日本海に出る。スンガリとも言う。 女真人の言葉で「天の河」の意味。 結婚式の車と行き交う。中国では結婚式は偶数の日の休日が多い。 結婚式の後レストランで食事をし、哈爾濱市民は松花江の橋で記念写真を とるのが一般的。結婚式の費用はだんだん高くなっている。派手な式では 10万元も使う。結納は5000元位。 大勢の若い人たちが集まっている。教員採用試験の会場とのこと、 中国でも厳しいらしい。 |
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| 櫻花餐庁で昼食
メニュー 腸詰めのソーセージ、とうふ、瓜ともやしの炒め物、とうもろこしの 炒め物、きくらげと菜の炒め物、金糸(きのこのようなものを乾燥させたもの)、 トマト入りスープ、ハムと瓜のスープ、ラーメンなど10品とご飯 田舎料理の感じ、ラーメンは日本の技術が入っているとのことでいままで 中国で食べた中では一番おいしかった。ビール 5〜6元、ビールはどこも冷えて いない。生温いビールを冷えたビールに交換してもらうのが、Mさんの食事時の仕事。 レストランを出た辺りで売っている瓜 5つで1.5元 安い。 |
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| 出発 南へ20km、731部隊跡へ
<左さんのガイド>哈爾濱 中国東北地方では第2番目の大都市(最近の統計では3位) 1 瀋陽 2 哈爾濱 3 長春 4 大連 夏には哈爾濱から酒田まで貨物船が運行されている。東方水上シルクロード。 とうもろこし、大豆、大豆糟などを日本に持って行く。 大学街(学府路)を南下 黒竜江大学、哈爾濱大学はともにロシア語の 学習を主目的に創られた大学。哈爾濱大学には日本語学科がある。哈爾濱 医科大学も見える。 |
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| 侵華日軍731部隊罪証陳列館に到着
入館料 外国人 10元、中国人 5元 旅行の前に森村 誠一氏の「悪魔の飽食」を読み、「マルタ(丸太)」 =(生体実験の材料とされたロシア人、中国人等)の悲惨な実態などに なんとも言えぬ暗澹とした気持ちになった。 現実に目の前に、実験器材などの遺品をはじめ、生体実験の様子を 再現したろう人形などを見ると気が重くなった。 陳列館を出て、ボイラー室跡を見る。部隊が撤退する際、8月13日に 爆破したが堅固なため、全部破壊できず残骸が残っている。撤退時の混乱を 示している。 その後、731部隊の本部跡へ行く。石井隊長の部屋も残っていた。 この本部跡の一部の建物がなんと現在は学校として使われていた。 どんな気持ちで使っているのだろうか? 南門衛兵所(門番)も見学 その後、近くの日本人官舎跡もみる。現在は中国人が住んでいる。 731部隊については「黒い太陽」(中国・香港の合作映画)が製作、上映 されて大きな反響を呼んだとのこと。 731部隊が撤退する際、ねずみ等を逃がし、それが原因となって付近で ペストが大流行し、多くの犠牲者が出た。左さんの親戚の人も3人死亡した。 この事件に関して、被害者の子孫が今秋、裁判に訴えるそうだ。 |
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| 出発 この頃、写真の
二重取りに気づきがっかり。
このあと、孔子廟と革命記念館に分かれて見学する予定であったが、全員で 革命記念館のほうへ行くことになった。 |
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| 革命記念館に到着するも
閉館で入館できず。
隣の革命烈士記念館(元の満洲国警察署)も開館時間が過ぎて閉まって いたが、交渉して入館させてもらう。 烈士=満洲事変、民族統一戦線以後の抗日戦争のゲリラ戦の犠牲者 をいう。多くの烈士の写真があり、説明があるが、知った人がいなかった。 趙 一曼(1905〜36) 女性闘士、一曼は一曼通りとして名が残っている。 四川省出身、地主の子、26年 入党、36年 処刑される。 楊 靖宇(1905〜40)(原名 馬 尚得) 日本軍と遭遇し、熾烈殉国 趙 尚志(1908〜42) 彼の名前も尚志通りとして名が残っている。 李 兆麟(1910〜46) 国民党スパイに暗殺される。彼の名は公園の名前に 残されている。 日本軍の毒ガス使用についての展示もあり。 |
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| 夕食に出発
市内至る所 建設ラッシュ、花園小学校跡を通る。現在は軍の施設、写真取れず。 花園小学校 かっての日本人学校、戦後哈爾濱での日本人の収容所となった。 開拓団員、青少年義勇軍、関東軍関係者、満鉄関係者などが満洲全土から集め られていた。発疹チフスが大流行し、多くの犠牲者が出る。 天鵝飯店(Swan Hotel )で夕食(18:00)、出発前に青木先生から哈爾濱では 皇帝料理を食べさせてくれるよう頼んでおいたと聞いていたので期待していたが、 普通の中華料理でがっかり。 メニュー 前菜5品(緑豆炒め、鶏の足、ハム、わらび炒め、寒天と キュウリ・トマト炒め)、肉と豆の炒め物、とうがんとしいたけのスープ、 ご飯、しそと菜のワイン煮、豚の脂身の煮付け、鶏肉の煮付け、なすとピーマンと じゃがいもの炒め物、魚のフライ風、スープ |
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| ホテルへ帰る。ホテルで コーヒーを飲む、25元 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 就寝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||