| 第1日(大連〜ハルビン) | |
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| 第1日目 1996年8月3日(土)大連〜ハルビン | |
| 6:20 自宅を出発
倉敷発6:50の電車で岡山駅へ、集合場所間違えうろつく。 岡山駅へ集合 出発式(7:20) のぞみ501号(7:44)で福岡へ |
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| 福岡空港へ到着、
東京からきた3名と合流、18名のグループ
搭乗手続きを済ませ、免税店でマイルド・セブン購入 1400円 日程の変更(予定の大連・哈爾濱の往復の航空機とれず、大連の宿泊なし)のため1万円の返金あり。 |
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| 搭乗 ANA NH 179便(Fukuoka →Dalian)41B
窓の外ばかり見ていたら、W氏が窓側の席と替わってくださった。 離陸(12:19) 機内で時計を1時間もどす、12:20→現地時間11:20に(以下現地時間) 11:40 朝鮮半島が見えてくる。 11:50 機内食(サンドウィッチ、えびサラダ、ハムサラダ、デザート、ビール) 12:40 大連の市街、港が見えてくる。大きな町 |
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| 大連空港着陸、入国手続き | |
| バス出発
李 華濱さん(全行程のガイドさん、遼寧海外旅遊総公司)の紹介あり。 李さん 日本語がとても達者、大連外国語大学日本語学科で4年間学んだ。 <李さんのガイド>”暑いですね”に始まる。大連も連日猛暑とのこと。 大連の歴史 100年前(1898年)にロシアが清から租借、パリをモデルに公園のある ロータリーを中心に放射状の町を建設、当時は小規模であったが、日本が日露戦争後 租借し、以後ロシアの上に増改築を進めた。従ってロシア風 日本風建物が多い。 大連 中国東北地方で4番目の大都市 人口 260万人、郊外人口を加えると530万人 に達する。(瀋陽 662万人、長春658 万人、哈爾濱531 万人)(1994) 大連の3つの窓口の役割 空路、水路、陸路(高速道路) 大連 14の経済開放都市の1つ(重点開発都市=天津、大連、上海、広州) 大連港 上海に次ぐ第2の規模の大貿易港 大連の町に日本人は今4000〜5000人位いる。 |
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| 人民広場に到着
白い建物の大連市役所、茶色の建物の裁判所、公安局等の建物が集中している。 広場の中心にソ連の参戦を記念して、ソ連兵士の像が立っていた。 人、車、タクシー多し。土曜日で、暑いから人や車が少ないほうとのこと。 | |
| 中山公園、中山路(メイン・ストリート)へ
中心に旧大和ホテルがあり、見物の後、ホテルで両替。1万円=756.91元 旧大和ホテルは大連、瀋陽、哈爾濱にもある。 |
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| 虎灘公園に出発
大連は今大変な建設ブームで、至る所で古い建物を壊し、新しいビル、団地が建設 されている。大連だけでなく、黒竜江省の田舎の町でもその様子が見えた。 <李さんのガイド>大連の町にはロータリーが多い。8本、8路 途中、旧日本人街を通る。今は中国人が住んでいる。 大連は住宅難。丘陵が多いことが1つの理由。住宅は5年前まではただで 社宅がもらえたが、現在は商品住宅になった。1u=4000元〜8000元 (中山街)。家賃は安い 2DKで50〜60元とのこと。大連では住宅開発公司が 多くの住宅を建設し、売り出したが、次第に売れなくなり、損失を出している。クーラー 付きの住宅も多くなっているが、まだまだ扇風機の家が多い。 国内旅行も盛んになった。週休2日制も普及。メーデーや国慶節等の日は、 列車・飛行機などの切符取れず。人々の意識も使うために貯めるように 変わってきた。 1989年6月4日の天安門事件以後、数年は外国旅行者ほとんどいなくなった。李さんも 仕事がほとんどなかったのでその年の8月に結婚式をあげたとのこと。 |
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| 虎灘公園に到着 大連の
人たちの娯楽の場として人気がある。
人多し。車も多い。自家用車も多い、タクシーを含めて冷房車が増えている。 タクシー代金 1〜1.2元とのこと。 大連では北京で見たような多くの自転車を見ない。理由の1つは坂が多いこと。 北大橋を見学 北九州市と大連の友好のシンボルとして建設された。 新婚のカップルと会う。花嫁さんはウエニングドレスでとてもきれいな人。 人々から盛んな祝福を受けている。我々も一緒に記念写真をとる。 虎の大きな石像がある。 |
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| 大連の大きな自由市場を見学
肉、魚、野菜、果物など品が豊富 蚕の幼虫(ねぎと炒めて食べる)、首の ついたままのにわとり等日本では見られないものもあった。値段も安い。 豚肉 500g =日本円で500〜600円位。 「日本の野菜はきれいすぎる。しかし味がない。大連には国営の店もあるが 前の日の物が多く、人々は自由市場で買い物をする。」とは李さん (よく来日する)の言。 |
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| 旧満鉄本社、旧満鉄病院へ
旧満鉄本社は一部のみ古い建物で、他は新しく建て替えられていた。 現在は大連鉄道有限公司。道路のマンホールに満鉄のマーク入りのものが まだ使用されていた。 旧満鉄本社の前には「市級文物保護単位 満鉄旧址」の石碑が立っていた。 旧満鉄病院は昔のままで、現在は大連鉄路医院と名が変わっているが、 今でも大連の大病院の1つである。 |
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| バスで再び市の中心街に
交通事情 「向遵守交通法規的 人間致敬」などのスローガンはあちこちで 見かけるが、警笛は鳴りっぱなし、交差点でも信号がない(1ヶ所見かけたが) のによく事故が起きないものと感心する。 大連の街にはトロリー電車が走っていて、市民の足になっている様子 街路樹が多い。商店、表通りなどはきれいだった。 |
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17:35 | 莫斯料(モスク)
酒楼で夕食(宿泊予定であった博覧大酒店の隣の建物であった)
メニュー 前菜4品、ちんげんさいの炒め物、かにの煮付け、豚肉と野菜の 炒め物、なすと肉の炒め物、さよりの空揚げ、じゃがいもの炒め物、ご飯、 とうふとえびのちり等 12品 |
| 大連駅に到着、
そのままホームへ、すごい人。乗車(17:55)
大連発哈爾濱行き 特快 61次 61次特快の列車 17両編成 11号車の7室(コンパートメント) 青木先生、Sさん、M君と横山の4人 切符は各車両の乗降口でチェック、駅によってはどこからでもプラット ホームへ入れるためか?発車後は扉を施錠、降りるときは乗務員に開けて もらう。各車両に 2〜3人の乗務員が乗っている。列車全体ではどのくらいに なるのだろうか?プラットホームは低く、梯子状の3段のステップを把手を 握って上る。大きな荷物があるときは大変だ。 |
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| 発車
金州を通過(18:45)、周囲が次第に暗くなる。(19:00)、暗くて 何も見えず。家の電灯、街灯等ほとんど見えず。(19:30) 瓦房店駅に、初めての停車(19:50)、大きな街のよう、多くの人が乗り こんでくる。発車(19:56) 漆黒の闇の中を一路北へ 鞍山駅着(22:55) 鉄の町として有名。工場も見える。かなり大きな町 (人口139万人(1990)のようだ。50人以上の乗客が乗りこむ。遼陽を通過(23:20) 旧満鉄、ロシア時代の東清鉄道の支線を走っているという思い、 旅の興奮のためもあってなかなか眠れない。 うとうとしても停車の度に目が覚める。第1日目が終わろうとしている。 |
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