西安・敦煌・北京の旅

第5日(敦煌〜西安)
第5日目 8月8日(火) 敦煌〜西安
4:30家内は、散歩に。
8:00朝食、敦煌山荘二日目の朝  ラクダの写真 100元*2枚
9:00頃陽関へ出発
陽関  西へ80km、天山南路への出入り口(天山北路は玉門関) 陽=南にあるから。
送元二使安西  王維
「渭城朝雨軽塵をうるおす 客舍青青柳色新 勧君更尽一杯酒 西出陽関無故人」
狼煙台(土塁)のみ残っている。狼煙 狼の糞を焚く。10km、5kmの間隔に造られた。
河西回廊 涼州(武威)、甘州(張掖)、粛州(酒泉)、瓜州(安西県)、沙州
敦煌 祁連山脈の雪解け水(9月)によるオアシス都市
漢の武帝 河西4郡の設置(武威、張掖、酒泉、敦煌)
城壁の一部が残っているとのことだったが、見ることは出来なかった。
敦煌郊外 綿花、とうもろこし畑
砂漠 ゴビ(石と砂の砂漠)、砂漠(砂砂漠) タクラマカン砂漠−”死の海”の意
敦煌郊外を離れるとゴビが続く。陽関まで80km途中人家なし。風強く、 砂嵐、砂塵が舞っていた。舗装道路が一筋、道路脇に電柱が並んでいる 以外なにもなし。党河ダム
10:30頃陽関に到着
狼煙台を除いては城壁等何もなし。東にオアシス都市がみえる。三方は砂漠
馬に乗れとうるさい、とうとう家内つかまる。
帰路 敦煌映画村を遠くから見学
バスのなかでガイドの劉芳麗さんに日本語の本を送ることを約束、日本の 歴史小説のようなものがよいとのことで、帰国後「新史 太閤記」、 「織田 信長」(少年向け)、「砂漠の文化」「シルクロ−ドの歴史」、 高校日本史の教科書、日本史図説等を送る。
12:00頃ホテルに帰り、昼食、敦煌のビデオの試写
15:00まで 午睡、といっても眠れず。休養
15:00敦煌市内見学
自由市場を見学 野菜、果物、肉、香料、その他日用品を商う店が 集まっている。書店 書や骨董等があり。買わず。百貨店(といっても そんなに大きくないが)へ テレビ 3000〜5000元、自転車 500元前後、 炊飯器 200元
劉さんのガイド
敦煌の雨 年間平均雨量 39mm、雨の日 年間10日以内、秋に多い。
自家用車 敦煌12万人のなかで10人以下とのこと。バスの運転手の月給 500元位
学校 小学校 2校(この広い町で2校とは、どうやって通学するのだろう)、高校  2校、大学 なし。
第5日目の敦煌  曇り、郊外 風強し。
17:00夕食 ラ−メン(ス−プの)も食べてみたいと申し出る。夕食前、ラ−メンを打つ実演あり。1杯 60元
敦煌のビデオ 500元、たばこ 15元、電話代 92元
いよいよ出発(17:50)
18:20空港へ、登机が 手続きの問題でやや遅れる。出発予定(19:40)20分遅れる。離陸(20:00)、西安まで1500km
23:30西安空港へ着陸
途中、蘭州空港へ給油のため臨時着陸(21:40) 蘭州空港 離陸(22:30)
泰宝賓館へ到着(0:10) 明朝 5:00 モ−ニングコ−ル、6:00 出発との こと、朝食は弁当、やや強行日程になりそう。
<家内の日記より>
 朝食 ぎょうざ、あげ万頭、豆腐みそ漬け、ザ−サイ、鶏卵(黒)、キャベツいため、 果物(すいか、うり)、おかゆ
 陽関 砂漠の中を30分くらい走る。ホテルより80km
 馬に乗れ、乗れとひつこい。顔をみて、つかまりそうなのがわかるのか、 とうとうつかまり、50元を出したら、30元しかおつりがないから、笛を10元で買えという。 こっちがねぎられた。まいった、まいった。
 自由市場、ス−パ−などに行ったけど、別に買うものなし。レストランに帰り、夕食
 西安にむけて出発
 敦煌のホテルの女の子に枕金を、朝置いていたのに、昼帰ってみるとそのまま 置いてある。あらっと言って、その子を見ると、何か悪いことをしたかというように 身を固くしているので、お金を差し出し、「これはお礼だ」というと、「いらない」と 辞退する。中国の人は、人に物をもらうことを恥とするなどということも 聞いていたが、5元と日本の硬貨100円玉二つをあげた。純朴で、かわいい、顔をよく 見なかったけど。健康な高校生って感じ。一緒に写真に写ればよかった。 レストランの女の子とホテルの女の子と見分けがつかない。
 敦煌山荘はまだ工事中で完成したら城郭のようになり、もう行けることも ないだろうけど、西洋式のホテルでなく、中国様式の建物でえらく気に入った。
私は庭に植えられたぶどうの垣に洗濯物を干したりしたが、今にあのぶどうも 大きくなり、青い実をつけることだろう。レンガが敷きつめられた床で高低差がなく、 色あざやかなパッチワ−クのカ−テン、ベッドカバ−。一晩中、起きて番をして くれた男の子。小さな机一つ、椅子一つの狭い入口。外からみると、土壁としか 思えないのに、中に入るとちゃんと生活空間が、中庭という広いぜいたくさを 持ってある、様式が気に入った。
 ク−ラ−が効かないとか、水が出ないとかあったらしいけど、一番気に入った。 従業員も、日本語は駄目だけど、英語は勉強しているとか。健康的なガッチリした 女の子が多く、お化粧など全然していない。12時〜3時まで仕事は休みだと言うが、 従業員宿舎も立派なのが建っていた。あそこが完成したら、ほんとうに どうなるのだろう。レストランの隣の部屋には、これから使うであろう、同じ 模様のお皿や碗がなわでくくって山積みされていた。ここのトイレにも人がいた。
 食べたり、食べたりと砂嵐で、鳴沙山もよくみえないまま、少々飽きた感じで、 西安へむかった。飛行機も感激もなく、ただの交通手段、高くて何も見えない。 途中、蘭州へ給油のため降り、一時間ほど遅れる。
 今度の西安のホテルは空港に近いと言っていたのに、遠い、遠い。 みんなぐったりしていた。またまた超デラックスのホテルだったけど、何も覚えていない。
 ホテルに着くとトランクと格闘。洗濯もやっぱりしたい。


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