2 東西対立と冷戦

1 ヨーロッパの冷戦とドイツの分裂(その2)

 第二次世界大戦後、米・英・仏・ソの4カ国によって分割占領されたドイツでは、ドイツの賠償問題をめぐって米ソの対立が強まる中で、1947年初め、米・英・仏管理地区とソ連管理地区とが事実上東西に分離した。

 1948年2月、米・英・仏3国は、ロンドンで会議を開き、西側管理地区(西ドイツ)と西ベルリンの通貨改革とマーシャル=プランの導入を決定した。

 ソ連は、これを強く非難し、3月には連合国ドイツ管理理事会から代表が退場し、1948年4月1日にはベルリンと西ドイツとの交通を規制した。

 ベルリンも、米・英・仏・ソ4カ国の共同管理に置かれていたが(東ベルリンはソ連管理地区、西ベルリンの北部はフランス管理地区、その南はイギリス管理地区、さらにその南はアメリカ管理地区になっていた)、ベルリン自体はソ連の占領地区(東ドイツ)の中にあったので、西ベルリンへはソ連占領地区内を通過して西ドイツから物資の補給が行われていた。従って、ベルリンへの道が封鎖されれば、西ベルリンは孤立してしまう状況下にあった。

 1948年6月18日、米・英・仏3カ国は3占領地区(西ドイツ)での通貨改革(西ドイツ独自の通貨の発行)を実施した。

 ソ連は、これに対抗して6月18日にベルリンに向かう貨物自動車を停止し、23日に東ドイツと東ベルリンで別個の通貨改革を行い、24日にはベルリンに通じる一切の鉄道・道路・水路を閉鎖した(ベルリン封鎖、1948.6〜49.5)。

 アメリカは、6月26日から、武力衝突を避けるために残された空路による物資の輸送(空輸)を開始し、ベルリンの米・英・仏占領地区(西ベルリン)に食料・衣料・石炭・原料・薬品などを輸送した(大空輸作戦)。

 ベルリン封鎖は約11ヶ月続いたが、この間に行われた大空輸作戦では、約27万回の飛行が行われ、200万トン以上の物資が輸送されたといわれている。

 ベルリン封鎖は、東西の緊張を極度に高め、米・ソ間で武力衝突の危機が高まったが、1949年5月4日に妥協が成立し、5月12日までにベルリン封鎖を解除し、5月23日にパリで4カ国外相会議を開いて通貨問題を含む一切のドイツ問題を討議することとなった。

 1949年5月12日、ベルリン封鎖は解除された。しかし、この間に西ドイツ側は、5月6日にドイツ連邦共和国臨時政府を樹立し、5月8日に憲法制定会議でドイツ連邦共和国基本法(ボン憲法)を採択した。

 1949年9月7日、ドイツ連邦共和国(通称西ドイツ、首都ボン)が成立し、次いで同年10月7日にドイツ民主共和国(通称東ドイツ、首都ベルリン)が成立した。

 ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の成立によって、ドイツは東西に分断され、以後東西両陣営に組み込まれた二つのドイツの対立が続くこととなった。

 ドイツ連邦共和国では、キリスト教民主同盟(1945年結成、カトリックの中央党を母体とし、プロテスタントの政治勢力を結集した中道政党)の党首アデナウアー(1876〜1967、任1949〜63)が初代首相に就任した。

 アデナウアーは、西側陣営につくことを明確にし、強力な指導力で経済復興に努め、「奇跡の復興(ドイツの奇跡)」と呼ばれる経済復興を成し遂げた。

 そしてドイツ連邦共和国は、1954年10月23日に調印されたパリ協定(1955年5月5日発効)によって主権を回復し、同時に再軍備とNATO加盟が認められた。

 一方、ドイツ民主共和国では、社会主義統一党(統一社会党、1946年に共産党と社会民主党が合同して成立)のグローテヴォール(1894〜1964)が首相に就任した。

 ドイツと同様に米・英・仏・ソ4カ国によって分割占領されたオーストリアは、1955年のオーストリア国家条約によって主権を回復した。

 オーストリア国家条約は、オーストリアとの講和条約にあたるもので、米・英・仏・ソ4カ国との間で調印され、ドイツとの合併禁止や核兵器の所有・製造・実験禁止などが規定され、またオーストリアの永世中立が主権回復の要件とされていた。

 この間、1949年4月4日に、西側12カ国(アメリカ・カナダ・イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルク・ノルウェー・デンマーク・アイスランド・イタリア・ポルトガル)はソ連の脅威に対して、北大西洋条約機構(NATO、ナトー)を結成した。

 NATOは、ヨーロッパまたは北アメリカにおける締約国の一ないしそれ以上に対する武力攻撃を全締約国への攻撃とみなして共同して防衛にあたることを目的とする、最大の反ソ軍事同盟である。

 なお、NATOにはその後ギリシア・トルコ(1952)、西ドイツ(1955)、スペイン(1982)、ハンガリー・チェコ・ポーランド(1999)が加盟し、現在の加盟国は19カ国になっている。

 NATOの結成・西ドイツの再軍備に対抗し、東側も軍事面での結束を強め、1955年5月14日にソ連・ポーランド・東ドイツ・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアの8カ国は、東欧8カ国友好協力相互援助条約(ワルシャワ条約)に調印し、軍事同盟を結成した。

 こうしてヨーロッパは東西ドイツを境として、米ソ両大国を中心とする二つの勢力に分裂し、その対立は激しさを増した。




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