2 東西対立と冷戦

1 ヨーロッパの冷戦とドイツの分裂(その1)

 第二次世界大戦中、連合国として協力して戦ってきたアメリカとソ連は、大戦末期から戦後処理の問題をめぐって対立するようになり、相互に不信感を強めていった。

 特にソ連が、自国の安全保障のために、第二次世界大戦末期にソ連軍によってナチス=ドイツから解放された中・東欧に親ソ政権を樹立すると、米ソの相互不信と対立がますます強まった。

 以後、米ソの対立は、アメリカを中心とする資本主義諸国とソ連を中心とする社会主義(共産主義)諸国との対立に発展し、「冷たい戦争(冷戦)」と呼ばれるようになった。冷たい戦争とは、実際の戦争に至らない緊張状態をさした語で、アメリカのジャーナリストのリップマンが創り出したとされ、1947〜48年頃から使われだした。

 1946年3月5日、イギリスの前首相チャーチルは、訪米中にミズーリ州フルトンの大学で「鉄のカーテン」演説を行い、「北はバルト海のシュテッティンから南はアドリア海のトリエステに至るまで、ヨーロッパを横断して鉄のカーテンが下ろされている。」と述べてソ連の閉鎖性を批判し、米英両国が協力して共産主義の脅威に対抗しなければならないと強調して大きな反響を呼び起こした。

 翌1947年3月12日、アメリカ大統領トルーマン(1884〜1972、民主党、第33代大統領・任1945〜53)は、上下両院合同会議で「ギリシアは、今日、国家の存在そのものを、諸地域特に北方の境界地方で、共産主義者に指導され、政府の権威を無視する、 幾千人が武装した暴力主義者の活動によって脅かされております。・・・ギリシアの隣国トルコもまた、われわれの注目に値するものであります。・・・全体主義体制(ソ連の制度を意味している)を強制しようとする侵略的な運動に対抗して、自由な制度と国家の保全を維持しようとする自由国民を進んで援助しなければ、われわれの目的は実現しないでありましょう」(東京法令「世界史資料」より)と演説し、ギリシアとトルコの共産主義化を阻止するために、両国に対して4億ドルの援助を与えることに賛成するように要請した(トルーマン=ドクトリン、トルーマン宣言)。

 トルーマン=ドクトリンは、ソ連の勢力が拡大することを防ぐためにソ連の進出を封じ込めようとする、第二次世界大戦後のアメリカの対ソ基本政策である「封じ込め政策」を宣言したもので、冷戦の宣戦布告となった。

 さらに、1947年6月5日、アメリカ国務長官マーシャル(1880〜1959)は、マーシャル=プラン(ヨーロッパ経済復興援助計画)を発表し、ヨーロッパ諸国の経済復興に対するアメリカの経済援助を表明した。

 マーシャル=プランは、1948〜51年にかけて実施され、マーシャル=プランを受け入れたヨーロッパ16カ国は急速に経済復興を遂げ、工業生産・生活水準が戦前を上回るようになった。

 しかし、マーシャル=プランの目的はヨーロッパの共産主義化を防ぐことにあり、マーシャル=プランを受け入れるということはアメリカ陣営に属することを意味したので、ソ連と東欧諸国はマーシャル=プランをアメリカの帝国主義政策であると非難し、これを受け入れなかった。

 そして、マーシャル=プランに対抗するために、ソ連と東欧諸国(ポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・ユーゴスラヴィア)及びフランス・イタリアの9カ国の共産党は、1947年10月に、コミンフォルム(共産党情報局、各国共産党の情報交換機関)を結成した。

 さらに、1949年1月、ソ連と東欧6カ国(ポーランド・チェコスロヴァキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニア)は、マーシャル=プランに対抗して、コメコン(COMECON、東欧経済相互援助会議)を設立し、経済協力を推進するとともに、社会主義諸国の結束をはかった。

 1948年2月25日、チェコスロヴァキア=クーデター(チェコ革命)が起こり、共産党政権が成立した。

 チェコスロヴァキアでは、1946年の総選挙で共産党が第一党となり、共産党を中心とする連立政権が成立した。連立政権は東西間で独自の地位を守ろうとしたが、1947〜48年にかけてマーシャル=プランの受け入れをめぐって共産党と反共派閣僚の対立が表面化した。

 1948年2月、11名の反共派閣僚が連立政権を離脱したことを機に政治的危機が生じ、警察力によって非共産党関係者が一掃される中で、2月25日に共産党政権が樹立された(チェコスロヴァキア=クーデター)。

 東欧諸国の中で西寄りの路線をとってきたチェコスロヴァキアに共産党政権が成立したことは西ヨーロッパ諸国に大きな衝撃を与えた。

 チェコスロヴァキア=クーデターによって西側のソ連に対する危機感はさらに高まり、イギリス・フランス・オランダ・ベルギー・ルクセンブルクの西欧5カ国は、1948年3月に西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約)を結んだ。西ヨーロッパ連合条約は、後のNATO(北大西洋条約機構、1949.4に結成)のひな型となった。




目次へ戻る
次へ