1 戦後世界の出発

1 戦後構想と国際連合

 1941年8月に行われたローズヴェルトとチャーチルとの米英首脳会談(大西洋上会談)の結果、平和機構の再建を含む大西洋憲章(全8カ条)が発表された。

 ソ連などの国々がこれに賛成し、翌1942年1月には連合国26カ国による連合国共同宣言が発表され、大西洋憲章を戦後構想の原則とすることが確認された。

 1943年10月に開かれた米英ソ3国外相によるモスクワ外相会議で「一般的安全保障に関する四カ国宣言」(中国も署名)が発表され、初めて公式に平和機構設立の必要が表明され、1944年8〜10月に米英ソ中4カ国の代表がワシントン郊外のダンバートン=オークスで会議を開き(ダンバートン=オークス会議)、国際連合憲章の原案(「一般的国際機構設立に関する提案」)を作成した。そして1945年2月に開かれたヤルタ会談で国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を召集することが決められた。

 ドイツの降伏を目前にひかえた1945年4月25日、ドイツまたは日本に宣戦している連合国50カ国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開いた。会議ではダンバートン=オークス会議で作成された国際連合憲章原案をもとに討議が行われ、安全保障理事会の権限の範囲や拒否権をめぐる対立があったが、結局原案にヤルタ会談で決定された安全保障理事会の大国に拒否権を与えることを追加して6月26日に国際連合憲章(前文および19章111条からなる)を採択した。

 そして1945年10月24日に国際連合が発足した。

 国際連合憲章は、「われら連合国の人民はわれらの一生のうちに2度まで、言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い、基本的人権と、人間の尊厳及び価値、男女及び大小国の同権とに関する信念を再び確認し・・・」という有名な前文に続く第1条で国際の平和及び安全を維持すること、平和に対する脅威を防止・除去すること、侵略行為に有効な集団的措置を執ること、国際紛争を平和的手段によって解決すること、諸国間の友好関係を発展させること、経済的・社会的・文化的または人道的性質を有する国際問題を解決すること、人種・性・言語または宗教に関する差別のない世界をつくることを目的として掲げている。

 そして主要機関としては総会・安全保障理事会・経済社会理事会・信託統治理事会・国際司法裁判所及び事務局が設けられ(第3章第7条)、本部はニューヨークにおかれた。

 全加盟国(原加盟国は51カ国)で構成される総会は、各国が1票の表決権を有し、国際連合の関与するすべての問題を討議する。ただし、総会の決議は加盟国または安全保障理事会への勧告の形をとり、強制力・拘束力をもたない。また総会の表決には重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制を取り入れた。これは国際連盟が全会一致主義をとり、意志の統一が困難であったことの反省からきている。

 安全保障理事会は国際連合で最も強大な権限を持つ主要機関で、米・英・ソ・仏・中国(中華民国、1971年に中華人民共和国と交替)の5常任理事国と6非常任理事国(後に10カ国)で構成され、国際紛争の解決に必要な経済的・外交的・軍事的制裁の権限を持つ。国際連盟には軍事的制裁がなく、結局第二次世界大戦を防止することが出来なかった反省から国際連合では国連軍による武力制裁と経済制裁を併用することとなった。

 安全保障理事会の決議には大国一致の原則が適用され、5常任理事国全部の賛成が必要とされる。5常任理事国のうち1国でも反対すれば安全保障理事会の決議は出来ない。これが有名な拒否権である。ただし、欠席の場合は議決権を失い、拒否権の放棄となる。

 経済社会理事会は経済・社会・文化・教育などに関する問題を研究・勧告する機関で、ILO(国際労働機関)・UNESCO(ユネスコ、国際連合教育科学文化機関)・WHO(世界保健機構)・FAO(国連食糧農業機関)・IBRD(国際復興開発銀行、世界銀行) ・IMF(国際通貨基金)などの専門機関やUNICEF(ユニセフ、国連児童基金)などの補助機関は経済社会理事会に属し、それぞれの分野で幅広く活動している。

 事務局は国際連合各機関の運営に関する事務を処理する機関で、事務総長は安全保障理事会の勧告により総会で任命される。現在のアナン(ガーナ、任1997〜)は7人目で、過去6人の事務総長はトリグブ=リー(ノルウェー、任1946〜52)・ハマーショールド(スウェーデン、任1953〜61)・ウ=タント(ビルマ、任1961〜71)・ワルトハイム(オーストリア、任1972〜81)・デクエヤル(ペルー、任1982〜91)・ガーリ(エジプト、任1992〜96)である。

 ダンバートン=オークス会議に先だって、1944年7月にはアメリカのブレトン=ウッズで連合国45カ国の代表が参加して経済会議が開かれ(ブレトン=ウッズ会議)、大戦後の世界経済の立て直し策が討議された。

 その結果、ブレトン=ウッズ協定が結ばれ、IMF(国際通貨基金)とIBRD(国際復興開発銀行、世界銀行)が設置され、両組織は1945年12月に発足した。そしてアメリカのドルを国際通貨とする固定為替相場制が採用され、各国通貨とドルの交換比率が定められた。なお日本の円は1949年のドッジ=ラインで1ドル=360円となった。

 この戦後の国際通貨体制はブレトン=ウッズ体制あるいはIMF体制と呼ばれるが、1971年8月のドル=ショック(ニクソン=ショック)によって崩壊し、1973年には変動為替相場制に替り、現在に至っている。

 また1947年10月にはジュネーヴで国際貿易会議が開かれ、関税障壁の撤廃と輸入制限の排除によって貿易の自由化を促進することを目的とするGATT(ガット、貿易と関税に関する一般協定)に23カ国が調印し、GATTは翌1948年に発効した。なお1995年1月にはGATTに替わってWTO(世界貿易機関)が設立され、現在に至っている。




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