7 スペイン内戦と枢軸の結成
スペインは第一次世界大戦に中立を保って好景気が続いたが、戦後不景気となり、政治不安に加えて労働運動が激化した。
こうした状況の中で、1923年9月、プリモ=デ=リベラ将軍(1870〜1930)がクーデターを起こし、国王アルフォンソ13世(位1886〜1931、ブルボン朝最後の国王)の承認のもとに軍事独裁政権を樹立し、反王制派を弾圧するなど反動政治を行った。
世界恐慌の影響でスペイン社会が混乱に陥ると、知識人・学生・労働者らの反独裁運動が起こり、1930年1月にリベラ将軍は辞職に追い込まれ、独裁政権は崩壊した。独裁政権崩壊後は共和派や社会主義者による反王政運動が盛んとなった。
1931年4月に行われた地方議会選挙で共和派が大勝した。共和派は国王の退位を要求し、国王アルフォンソ13世は翌々日に国外に亡命してブルボン朝が崩壊し、共和政が成立した(スペイン革命、スペイン共和革命)。
スペイン革命によって成立したアサーニャ内閣(1931〜33)は民主主義改革を進め、同年12月にはドイツのヴァイマル憲法にならった民主的な共和国憲法が制定された。しかし、最大の課題であった土地改革が不徹底だったのでアサーニャ内閣は左派と右派の両方から攻撃され、1933年9月に総辞職した。
そして1933年11月に行われた選挙では地主・軍部・カトリック教会・資本家に支持された右派勢力が過半数を占め、以後反動化が進み、いわゆる「暗い2年間」が始まった。
そのため、右派勢力に対抗するためにスペインでも左派共和主義諸政党・社会党・共産党の間で人民戦線が結成され(1936.1)、1936年2月の選挙では人民戦線派が大勝し、人民戦線内閣が成立した。
アサーニャが首相、次いで大統領(任1936〜39)に選ばれ、人民戦線内閣は土地改革・教会の特権剥奪などの改革に着手した。
これに対して人民戦線内閣に反対する軍部・地主・教会に支持されたフランコ将軍は、1936年7月にスペイン領モロッコで反乱を起こし、スペイン内戦(スペイン反乱、1936.7〜39.3)が始まった。
フランコ(1892〜1975)は陸軍士官学校を卒業後(1910)、モロッコの民族運動鎮圧に従事し、30歳の若さで少将となった。1935年には参謀総長となったが、翌年人民戦線内閣が成立するとカナリア諸島守備隊司令官に左遷され、モロッコで反乱を起こした。
フランコ将軍がモロッコで反乱を起こすと、スペイン本土でも各地で反乱が起こり、政府軍との戦闘が始まった。マドリードやバルセロナなどでは政府軍や労働者によって反乱は鎮圧されたが、反乱軍は7月末までにはモロッコ・スペイン南部・スペイン北部など国土の約3分の1を占領した。
さらに8月に入ると、ドイツ・イタリアのファシズム政権の援助を得たフランコ将軍が本土に上陸し、9月末にはマドリードを包囲し、反乱軍はスペイン全土の約3分の2を占領した。
このスペイン内戦に対して、イギリスとフランスは戦争の拡大を恐れて、またスペインの共産化を恐れて不干渉政策をとった。1936年9月にイギリスとフランスの主導によってスペイン内戦不干渉委員会が成立し、英・仏・独・伊・ソ連など27カ国が参加した。
しかし、ドイツとイタリアは不干渉協定を無視して公然とフランコ将軍側に軍事援助を行った。特にドイツはこのスペイン内戦を新兵器の実験台とし、1937年4月にはスペイン北部の小都市ゲルニカを空軍による無差別爆撃によって徹底的に破壊した。スペイン生まれの画家ピカソ(1881〜1973)の「ゲルニカ」はこの出来事を素材として戦争への憎悪をこめて描かれた作品として有名である。
これに対してソ連は人民戦線政府の援助を声明し(1936.9)、国際義勇軍とともに政府軍を援助した。国際義勇軍には世界各地からファシズムと戦うために多くの自由主義者などが参加した。中でも、スペイン内戦を背景に描かれた『誰がために鐘は鳴る』(1940)の著者であるアメリカの作家ヘミングウェー(1899〜1961)やイギリスの作家オーウェル、そしてフランスの作家マルローらが有名である。
こうしてスペイン内戦は国際戦争化し、第二次世界大戦の前哨戦となった。政府軍は頑強に抵抗を続けたが、イギリスとフランスは最後まで不干渉政策を続けたので、ドイツとイタリアの援助を得たフランコ側が優勢となり、1939年1月にはバルセロナを占領し、3月にはついにマドリードも陥落し、スペイン内戦はフランコ側の勝利に終わった。
フランコは国家主席となり、その後総統(国家主席兼首相)に就任して独裁体制を樹立し、1975年に死ぬまでその地位を維持した。
ヒトラーとムッソリーニは、エチオピア侵入・ラインラント進駐・スペイン内戦などを通じて接近し、1936年10月にはベルリン=ローマ枢軸を結成した。
ドイツは日本とも、コミンテルンの活動に対する情報交換や共同防衛を約して、1936年11月に日独防共協定を結んだ。
翌1937年11月には、イタリアが日独防共協定に参加して日独伊三国防共協定となり、イタリアは同年12月に日・独に続いて国際連盟を脱退した。
こうして日本・ドイツ・イタリアのファシズム国家による「ベルリン=ローマ=東京枢軸」が成立した。