3 アジアの情勢

6 東南アジアの独立・改革運動

 欧米列強の植民地支配下に置かれていた東南アジア諸地域でも第一次世界大戦後、独立運動や民族運動が高まった。

 フランスの植民地であったヴェトナムで民族運動の中心となったのがホー=チ=ミンであった。
 ホー=チ=ミン(胡志明、1890〜1969、本名はグェン=タトゥ=タン、一時はグェン=アイ=クォク(阮愛国)と名のった)は、ゲアン省の学者の子として生まれ、大学で学んだ後に船員となってフランスに渡った(1911)。その後、ロシア革命に刺激されてマルクス主義に近づき、フランス共産党に入党した(1920)。1924年のコミンテルン第5回大会に出席した後、中国に渡り、広州でヴェトナム青年革命同志会を結成し(1925)、1930年には香港でヴェトナム共産党(同年インドシナ共産党と改称)を結成した。

 インドシナ共産党は労働者・農民に支持され、以後の対仏・対日の抵抗・独立闘争の主体となったが、ホー=チ=ミンは香港のイギリス警察に逮捕され(1931)、釈放後はソ連に渡り(1934)、1941年に帰国してヴェトナム独立同盟(ヴェトミン)を結成した。

 インド帝国に併合されていたビルマ(ミャンマー)ではインドからの分離を求める運動がおこった。
 ビルマの民族運動の指導者サヤ=サン(1876〜1931)が反英武力闘争に立ち上がると(1930)、運動はたちまちビルマ各地に広まり、農民蜂起(1930〜32)となった。イギリスはインドからも増援軍を送り込んで鎮圧し、サヤ=サンら指導者を処刑した。

 同じ頃、ラングーン大学の卒業生たちによってタキン党が結成された。タキン党は、初めは「われらビルマ人協会」と称していたが、後にタキン(主人の意味)党と改称した。

 タキン党は、1930年代中頃からビルマの即時完全独立を要求し、アウン=サン(1915〜47)やウー=ヌー(1907〜95、後のビルマ共和国初代首相)らを中心に学生運動や都市のストライキを組織した。

 イギリスはこのような動きに押され、1935年の新インド統治法によってビルマの分離を決定し、さらに1937年にはビルマ統治法で完全に分離して準自治領とした。しかし、タキン党はその後も完全独立を目指して反英独立闘争を展開した。

 オランダの植民地支配下に置かれていたインドネシアの民族運動は、1911年に設立されたサリカット=イスラム(イスラム同盟)や1920年に結成されたインドネシア共産党によって推進された。

 インドネシア共産党はアジア最初の共産党で、1926〜27年にバタヴィアやスマトラ西部で武装蜂起したが失敗に終わり、インドネシア共産党は以後非合法化された。

 この頃、インドネシア民族運動の指導者として登場してくるのがスカルノである。
 スカルノ(1901〜70)は、東部ジャワのスラバヤで生まれ、オランダ人小学校に入学して西欧式の教育を受け、バンドン工科大学を卒業した(1925)。大学在学中からオランダに対する独立運動に参加したスカルノは、1927年に民族主義団体を設立し、この民族主義団体は翌年インドネシア国民党と改称した。

 しかし、インドネシア国民党は弾圧を受け、スカルノも逮捕・投獄された(1929〜31)。スカルノはその後釈放されたが再び逮捕され、流刑となった(1933〜42)。このため、インドネシアの民族運動は一時停滞した。

 米西戦争(1898)後、アメリカの植民地となったフィリピンでは、フィリピン革命(1896〜1902)が失敗に終わった後もアメリカに対する独立運動が続いた。

 アメリカは、1916年のジョーンズ法で、上下両院の設置など広汎な自治を認めたが、独立については安定した政権が樹立され次第という単なる約束にとどまった。

 世界恐慌に苦しむ中で従来の外交政策を転換したアメリカは、1934年にフィリピンの自治を認める法案を成立させ、翌1935年には独立準備政府を発足させて自治を認めるとともに10年後の独立を約束した。

 東南アジア諸国の中で唯一独立を維持したタイでは、1925年にラーマ7世(チャクリ朝第7代の王、大王と呼ばれたラーマ5世の子、前王ラーマ6世の弟)が即位した。

 この頃、パリのタイ人留学生らによって結成された人民党(1927年設立)は絶対王制打倒・立憲君主制樹立を主張していた。

 世界恐慌の影響と長年の財政窮乏によってタイ経済が悪化すると、ラーマ7世は官吏と軍人の整理・大幅減俸や重税の新設などを断行したためにチャクリ朝の専制政治に対する国民の反感が強まった。

 1932年6月24日、人民党による立憲革命が起こった。人民党は軍部の同調者とともにクーデターを起こし、ラーマ7世に立憲君主制の樹立を認めさせた。同年、タイ最初の憲法が制定された。

 その後、立憲革命で台頭したピブン(1897〜1964、タイの軍人)が首相となり(1938)、1939年には国名をシャムからタイ(自由・自由民の意味)に改めた。




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