1 帝国主義の成立と列強の国情

3 フランス

 フランスは、普仏戦争(1870〜71)に敗れてアルザス・ロレーヌをドイツに割譲したために工業生産の発展がにぶり、1870年代にはアメリカ・ドイツに追い抜かれて第4位になった。また工業では小企業が乱立し、農業でも小経営が多かったので国内には有利な資本の投下先がなかった。そのため国内の資本はもっぱら有利な海外投資に向けられ、フランスは「ヨーロッパの高利貸し」と呼ばれた。特に露仏同盟の成立(1891〜94に成立)後はロシアへの投資が増加した。

 フランスは、対外的には1880年代以後チュニジアやインドシナを獲得し、イギリスに次ぐ広大な植民地を領有した。

 国内では、1875年に第三共和政憲法が成立し、第三共和政の基礎が確立したが、小党分立の傾向が強く、政情は不安定であった。

 フランスでは、普仏戦争の敗北後対独復讐心が強まり、ドイツに対する反感から軍部や右翼が台頭し、第三共和政はブーランジェ事件(1887〜89)やドレフュス事件(1894〜99)によって重大な危機に直面した。

 1887〜89年にはブーランジェ事件が起こった。
 ブーランジェ(1837〜91)は、普仏戦争に従軍し、師団長を経て陸相となった(1886〜87)。彼は対独強硬策を唱え、「復讐将軍」・「ビスマルクをしりごみさせた男」とあだ名されて愛国主義者・右翼・一般民衆の人気を集めた。

 王党派やボナパルト派はブーランジェをかついで共和政を打倒して軍部独裁政権の樹立を企てた。

 ブーランジェが、パリの補欠選挙で大勝すると(1889.1)、興奮したパリの民衆は街頭にひしめき、クーデターの危機は目前に迫ったかにみえたが、ブーランジェが土壇場で実行をためらい、クーデターは未遂に終わった。

 これに驚いた政府が不穏な団体を解散させ、ブーランジェ派の指導者を起訴するとブーランジェはベルギーに亡命し、欠席裁判で終身禁固刑の判決を受けると数ヶ月後に自殺した。

 そして1894年にはドレフュス事件(1894〜99)が起こった。
 1894年夏、パリのドイツ大使館から一通の手紙が盗み出されてフランス陸軍省の手に入った。その中にはフランス陸軍の機密文書の名が列記されていた。フランス陸軍省の中にスパイがいることが明らかになり、捜査が行われてユダヤ人の砲兵大尉ドレフュスがドイツのスパイ容疑で逮捕され(1894)、軍法会議にかけられた。

 ドレフュスは無罪を主張したが、ユダヤ人ドレフュスを早く処分せよという世論の高まりの中で、陸軍は事件の処理を急ぎ、ドレフュスを有罪として終身禁固刑を言い渡し(1894.12)、官位を剥奪して南アメリカのフランス領ギアナ沖の悪魔島(ここへ送られたが最後、生きて帰れないことからこう呼ばれた)へ送った。

 1896年、陸軍省情報部長の調査によって真犯人はエステラジー少佐であることが明らかになったが、陸軍は体面を保つためにもみ消しをはかった。

 真犯人が別にいることが知れると再審を求める世論が起こったが、軍部は威信を保つために再審を拒否して反ユダヤ主義や拝外主義をあおり、エステラジーを形式的に軍法会議にかけて無罪とした。

 エステラジー裁判から2日後(1898.1.13)、フランス自然主義の代表的な作家であるゾラ(1840〜1902)は「私は弾劾する」という大統領宛の公開質問状を新聞に発表し、軍部の不正・横暴を攻撃してドレフュス擁護の論陣をはった。

 ドレフュスの再審を要求する運動はますます激しくなり、その一方で再審反対運動も激しさを増した。そのため再審派と反対派の対立は、ドレフュス個人の有罪・無罪の問題を越えて共和政の擁護と共和政打倒の戦いとなり、国論を二分する政治問題となった。

 再審要求運動がさらに高まる中でようやく再審が行われたが、軍法会議はドレフュスに再び有罪判決を下した。しかし、ドレフュスは大統領特赦で釈放された(1999)。その後も復権運動が行われ、再再審でついに無罪と復権が確認された(1906)。

 ドレフュス事件は共和政の存続をおびやかす出来事であったが、この出来事によってかえって共和派の団結が強まった。またドレフュス事件を機にユダヤ人のシオニズム(ユダヤ人の国家をパレスチナに建てようとする運動)が始まった。

 1899年に成立したヴァルデック=ルソー内閣(1899〜1902)は「共和政防衛内閣」と呼ばれ、社会主義者も含めた全共和主義派の支持の下で、軍部・カトリック教会・右翼の攻撃から共和政を守ることを目的に組織され、政治改革・社会改革に取り組んだ。

 共和政防衛内閣の成立によって第三共和政は安定したが、フランス人の間にはドイツに対する警戒心が依然として強く、露仏同盟(1891〜94年に成立)や英仏協商(1904)を結んでドイツに対抗した。

 ドレフュス事件でドレフュス擁護に活躍したジョレス(1859〜1914)は社会党(統一社会党)の結成に大きな役割を果たした。社会党(統一社会党)はフランスの社会主義政党や団体の連合組織として1905年に結成された。

 またフランスの労働運動では、議会主義を否定して労働組合の直接行動・ゼネストによって革命を目ざすサンディカリズムが19世紀末から盛んになった。




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