2 ヴェルサイユ体制下の欧米

3 アメリカ合衆国の繁栄

 アメリカは第一次世界大戦中、連合国に軍需物資を供給し、借款を行って莫大な利益をおさめ、戦前の約35億ドルの債務を返済し、戦後は逆に約125億ドルの世界最大の債権国となった。

 また金の保有量も増加し、戦前の約19億ドルから戦後数年で約46億ドルとなり、世界の金の半ばを保有するようになった。これとともにアメリカは世界の経済・金融を支配するようになり、世界経済の中心はロンドンからニューヨークのウォール街へと移った。

 その一方で、戦後国内では伝統的な孤立主義が復活し、上院はヴェルサイユ条約の批准を否決し、アメリカは国際連盟へ参加しなかった。しかし、他方では軍縮会議を提唱し、国際協調やドイツの賠償金問題などでは指導的な役割を果たした。

 1920年に行われた大統領選挙で、共和党のハーディング(第29代大統領、任1921〜23)は「アメリカが今必要とするものは、英雄的行為でなくて休養である。妙薬でなくて平常さである。革命でなくて復古である。・・・手術でなくて安静である。」と述べ、「平常への復帰」をスローガンに掲げて当選した。

 ハーディングはワシントン会議(1921〜22)を主催したが、在任中に急病死したので副大統領のクーリッジ(共和党、第30代大統領、任1923〜29)が大統領に昇格し、「黄金の20年代」と呼ばれるアメリカ資本主義の全盛期に大統領を2期努めた。

 さらに1928年の大統領選挙でも共和党のフーヴァー(第31代大統領、任1929〜33)が当選した。フーヴァーは選挙演説の中で「今日われわれアメリカ人は、どの国の史上にもまだ見られなかったほど貧困に対する最終の勝利に近づいている。・・・われわれは神の加護によって、貧困がこの国から絶滅する日をやがてまのあたりに見るであろう。・・・」と述べ、自由放任主義による「永遠の繁栄」を主張した。しかし、大統領就任から7ヶ月後に起こった世界恐慌に対しては無為無策で、1932年の大統領選挙では民主党のフランクリン=ローズヴェルト(ルーズヴェルト)に大敗した。

 1921年から3代12年にわたって共和党政権が続き、共和党の伝統的な大企業保護政策の下で、自動車・化学・電気・映画・建築などの新産業がめざましく発展し、アメリカは大量生産・大量消費による「永遠の繁栄」を謳歌した。また自動車・電話・家庭電化製品・ラジオ・映画の普及によって大衆社会・大衆文化が成立した。

 しかし、一方ではアメリカ的な価値観が強調され(アメリカニズム)、ワスプ(WASP、ホワイト(W)・アングロ=サクソン(AS)・プロテスタント(P)の略)の利益を擁護しようとする保守的・排外主義的な傾向も現われた。

 1924年に成立した移民法では、アメリカへの移民の数が年間15万人に制限され、国別割り当ても強化された。またこの移民法には、いわゆる「排日条項」が含まれていたので日米関係が悪化する原因の一つとなった。また1920年代にはK・K・K(クー=クラックス=クラン)が復活して一大勢力となり全国的に広まった。

 この間、1920年には婦人参政権が実現した(1914年までに12州で認められていた)。
 また1919年には有名な禁酒法が公布されたが(1917年に憲法修正が成立)、かえって密造・密売が盛んとなり社会悪を増大させたので1933年には廃止された。 




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