2 第一次世界大戦(その2)
1917年は二つの出来事によって第一次世界大戦の転機となる重要な年となった。一つはアメリカの参戦であり、もう一つはロシア革命である。
この二つの出来事は大戦の性格を変えた。特にアメリカの参戦によって第一次世界大戦は世界規模の戦争、まさに世界大戦となった。またアメリカとソ連の登場によってヨーロッパ列強を中心とした国際体制は大きくゆらぎ始めた。
ドイツはイギリス艦隊によって北海を封鎖され、海外からの物資の補給を断たれた。そのためドイツは潜水艦によって敵国・中立国を問わず軍需物資を積んだ船舶を無警告で撃沈する作戦に出た(1915.4)。
1915年5月、多くのアメリカ人が乗船していたイギリス客船ルシタニア号がドイツ潜水艦によって無警告で撃沈され、100人以上のアメリカ人が死亡するという出来事が起り、アメリカ国内では対独世論が悪化した。
そのため、ドイツはルシタニア号事件以後その戦術を手控えていたが、戦局の打開をはかって1917年2月に無制限潜水艦作戦を再開し、ドイツが指定する航路以外を通る船舶を、国籍を問わず無制限に撃沈することを宣言した。
アメリカ大統領ウィルソン(任1913〜21)は大戦が勃発した当時「それはわれわれと何ら関係のない戦争であり、その原因もわれわれには関わりがない」として、伝統的な孤立政策に従って中立を宣言した。
そしてアメリカは中立国の立場を利用して交戦国双方と通商を行って大きな利益をあげたが、その一方ですでに1915年からイギリス・フランスへ借款の供与を行うなど連合国との関係を強めていった。
1917年2月、アメリカはドイツが無制限潜水艦作戦を宣言すると、2日後にドイツと国交を断絶し、1914年4月6日にドイツに宣戦を布告した。
アメリカは参戦後、ヨーロッパへ200万を超える大軍を送り込み、また軍需物資の供給や借款など莫大な経済援助を行って連合国を勝利に導く役割を果たした。
ロシアでは、1917年3月に三月革命が起こってロマノフ朝が崩壊したが、臨時政府は戦争を継続した。
同年11月の十一月革命で臨時政府はレーニンの率いるボリシェヴィキによって打倒され、ソヴィエト政権が樹立された。ソヴィエト政権はただちに無併合・無賠償・民族自決の原則による講和をすべての交戦国に訴えたが連合国によって黙殺された。
そのためソヴィエト政権はドイツと単独講和を行い、ブレスト=リトフスク条約(1918.3)を結んで第一次世界大戦から離脱した。
この間、ドイツはアメリカの参戦が本格化する前に戦争を終わらせようと攻勢に転じ、1917年末にはイタリア戦線で勝利をおさめ、1918年3月にはソヴィエト政権と単独講和を結んで西部戦線で大攻勢に出た。
ドイツ軍は7月までに5回にわたる大攻勢をかけてある程度の勝利をおさめた。しかし、連合国側はアメリカ軍の援助を得てよく持ちこたえ、8月には逆に反攻に出たのでドイツ軍は西部戦線の全戦線で敗北し退却を続けた。
1918年9月頃には同盟国側の敗色が濃くなり、9月末にはブルガリアが降伏し、10月末にはトルコも降伏した。
ドイツの敗北が決定的となった1918年10月28日、ドイツ海軍はドイツ艦隊に対して出撃命令を出した。これはドイツ軍にまだ戦う余力があることを連合国に示し、すでに始まっている休戦交渉を有利に展開する目的で行われたが、キール軍港の水兵たちは全く勝ち目のない海戦への出撃を拒否した。
命令を拒否した水兵600人が逮捕されると、キール軍港の水兵たちは彼らの釈放を要求して11月3日に蜂起した。
キール軍港の水兵の反乱はたちまち全国に広まり、11月9日には首都ベルリンでも労働者が蜂起し、共和国の樹立が宣言された。
1918年11月10日、皇帝ヴィルヘルム2世は退位してオランダに亡命した。そして翌11月11日、共和国政府は連合国と休戦条約を結び、ついに第一次世界大戦が終わった。
それより以前、オーストリア=ハンガリー帝国は11月4日に降伏し、ハプスブルク家も崩壊した。
第一次世界大戦は、ヨーロッパ列強の植民地再分割をめぐる帝国主義戦争として始まり、短期決戦の予想に反して長期戦となり、動員された兵力は6000万人を超え、戦死者数は約1000万人に達した。
第一次世界大戦はまさに総力戦・消耗戦であった。日露戦争で使った全弾薬量を1週間で消耗したといわれ、いかに多くの兵器・弾薬・軍需物資を生産してそれを戦場に送り込むかということが勝敗を決する総力戦であったので、戦争の被害は戦場における被害だけでなく、軍需物資優先による物不足や労働力不足が国民の生活を圧迫した。
また戦車・毒ガス・潜水艦・飛行機(最初は偵察用として使用されたがやがて爆弾を投下したり、空中戦を行うようになった)・飛行船(ドイツ軍によるロンドン爆撃は主に飛行船で行われた)などの新兵器の出現によって戦争は大量殺戮の時代を迎えることになった。
第一次世界大戦によってヨーロッパではハプスブルク家・ホーエンツォレルン家・ロマノフ家が崩壊した。そしてロシア革命による後のソヴィエト連邦の成立やアメリカの発言力や指導力の強化などによって第一次世界大戦後にはヨーロッパの地位がゆらぎ始めた。