2 イギリス
帝国主義という言葉は、1870年代の後半に、保守党の首相ディズレーリ(任1868、1874〜80)が、その頃高まりつつあった小英国主義(植民地は財政負担を増す重荷に過ぎないとして植民地放棄を唱える立場)を攻撃し、植民地支配を強化し、帝国の拡張・団結を主張したのが始まりである。
ディズレーリは、スエズ運河の株式の買収(1875)やインド帝国の成立(1877)、さらに露土戦争に干渉してベルリン会議でロシアの南下を阻止する一方でキプロス島を獲得する(1878)など帝国主義政策を推進した。
これに対して自由党の首相グラッドストーンは平和外交を主張し、アイルランド問題などの内政に力を注いだ。
ディズレーリとともに帝国主義者として知られるジョゼフ=チェンバレン(1836〜1914)は、ネジ製造業で財を成して政界に進出し、自由党急進派として活躍した。グラッドストーン内閣にも2度入閣したが、アイルランド自治法案に反対して自由党を離れ、自由統一党を結成した(1866)。
その後チェンバレンは、第3次ソールズベリ保守党内閣(1895〜1902)に植民相として入閣し、国内の社会問題の解決には植民地の開発が必要であると主張し、アフリカでの帝国主義政策を推進して南ア戦争(南アフリカ戦争、ブーア戦争、1899〜1902)を引き起こした。
またチェンバレンの主張によって、1877年には植民地会議が開催された。本国・自治領・インドなどの代表で構成された植民地会議は、本国と自治領・植民地間の結合・協力関係の強化を目的とし、イギリス帝国共通の防衛・経済などの問題を討議した。植民地会議はその後4回開催され、1907年にはイギリス帝国会議と改称された。
この間、国内では労働運動・社会主義運動が盛んとなり、フェビアン協会(1884)や独立労働党(1893)などが設立された。
1884年に設立されたフェビアン協会は、革命を否定して漸進的な社会改革を主張する社会主義者の団体で、ウェッブ夫妻(夫シドニー(1859〜1947)は後にマクドナルド労働党内閣に入閣した)や劇作家として有名なバーナード=ショー(1856〜1950)らが活躍した。なおフェビアンの名は、戦わず・挑まず・敵の消耗を待つ戦術でハンニバル軍を破った古代ローマの将軍の名前ファビウスの名にちなんでいる。
ケア=ハーディ(1856〜1915)が設立した独立労働党も、労働者の議会進出と社会主義を目的とする漸進的な改革を目ざした。
1900年には、フェビアン協会・独立労働党・社会民主連盟(マルクス主義をとる)の3つの社会主義団体と65の労働組合の代表によって、その連合体である労働代表委員会が結成された。
労働代表委員会は、その後既存政党(保守党や自由党)から独立した労働者独自の政党を目ざし、1906年に労働党と改称した。
労働党は、社会民主主義(共産主義の革命理論に反対し、議会主義による社会主義の実現を説く思想)の立場に立って漸進的な改革で社会主義の実現をはかる穏健な方針をとった。
その前年に成立していた自由党内閣は、労働党の協力を得て老齢年金法や国民保険法などの社会改革を実現しようとしたが、保守党勢力の強い上院が改革に反対したので、1908年に成立したアスキス自由党内閣(1908〜16)は、1911年に議会法(議院法)を成立させた。
アスキス内閣の蔵相であったロイド=ジョージ(1863〜1945、1916〜22年に首相を務める)は、ドイツに対抗して海軍の増強が叫ばれると、土地所得への新課税・所得税と相続税の増額などを含む予算案を議会に提出した。この予算案が上院で否決されたので(1909)、下院を解散して総選挙で勝利し、世論を背景に上院を屈服させて議会法を成立させた。
議会法の内容は、下院を3回通過した法案は上院の同意なく法律となること、また上院は予算案を否決ことができないことなどで、これによって下院の優越が確立した。日本国憲法の衆議院の優越はこの議会法の精神を取り入れたものである。
19世紀後半のイギリス内政最大の問題の1つであったアイルランド自治法案は、1886年と1893年の2度グラッドストーン内閣によって提出されたが、いずれも否決された。
20世紀に入るとシン=フェイン党を中心にアイルランド独立運動が激しさを増した。シン=フェイン党(シン=フェインは「われわれ自身で」の意味)は、1905年に結成されたアイルランドの政党で、アイルランドの独立を主張し、急進的な反英路線をとった。
自由党内閣は、1912年に三度アイルランド自治法案を議会に提出した。翌1913年には下院で可決されたが上院では否決され、1914年にやっと下院・上院で可決されて成立した。
しかし、イギリス人が多数を占める北アイルランド(アルスター地方、17世紀にイングランド・スコットランド人の新教徒が植民)は自治法案に反対し、シン=フェイン党との対立が激しくなったので、政府は第一次世界大戦の勃発を理由にアイルランド自治法案の実施を延期した。