3 アジア諸国の変革と民族運動

7 東南アジアの民族運動

 1883年以来、フランスの保護国とされていたヴェトナムでは、日露戦争に刺激されてファン=ボイ=チャウ(1867〜1940)らによって反仏独立の秘密結社である維新会を結成された(1904)。

 ファン=ボイ=チャウは、日本に武器援助を仰ごうとして来日したが(1905.4)、武装蜂起の考え方を批判され、人材育成の重要性を説かれた。ファン=ボイ=チャウはその忠告を受け入れてヴェトナムの青年たちに日本への留学を呼びかけ、200人以上のヴェトナム青年が日本に留学した。この運動は東遊(ドンズー)運動と呼ばれている。

 またファン=ボイ=チャウらは、1907年に東京(ドンキン)義塾を設立して新しい思想の普及に努めたが、反仏の色彩が強くなると弾圧され、東京義塾は1908年に閉鎖された。

 東遊(ドンズー)運動は、19世紀末からヴェトナムで行われた近代化運動の一つで、科挙に合格した知識人たちが、フランスの植民地支配からの脱却を目ざして東方(日本)へ留学した。この東遊運動は日露戦争後特に盛んとなった。

 しかし、留学生たちが反仏独立の結社を組織して活動すると、フランスは留学生の父兄を投獄したり送金を妨害して弾圧し、また日本に対して留学生の国外追放を要求した。

 日本が、1907年にフランスと日仏協約を結んで、留学生に国外退去を命じたので(1909)、東遊運動は挫折した。

 日本から追放されたファン=ボイ=チャウは上海に逃れ(1909)、中国の辛亥革命後、広東で光復会を創設して(1912)武力によるヴェトナムの解放を目ざした。

 インドネシアでは、1911年にイスラム同盟(サレカット=イスラム)が結成された。イスラム同盟は最初は華僑に対抗するために組織であったが、やがてオランダからの独立を求める政治団体となり、インドネシアの民族運動の中心となった。

 フィリピンでは、19世紀後半にホセ=リサール(1861〜96)やアギナルド(1869〜1964)らを中心とするスペインに対する独立運動が起こった。

 しかし、米西戦争(1898)後アメリカがフィリピンを領有すると、アギナルドはアメリカからの独立を目ざして反米武力闘争にふみきったが、1901年にアメリカ軍に捕らえられて引退した。




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